米大統領選や予言などに執着しない
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2020年9月14日】最近、国際情勢がめまぐるしく変化していますが、この間、私は一部の同修がアメリカ大統領選挙のことや、コロナウイルスに関して過度に関心を持っていることに気づきました。しかもこれらに影響されて、心が浮草のようになってしまい、心を静めて学法することが出来ず、衆生を救うこともしっかり出来ていないのです。

 実は私達は同じような状況を何度も経験してきました。昔はあの国務院総理が誰になるかへの執着や、両会(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議)開催への執着、オリンピック開催地選考への執着、江沢民を倒す執着(江沢民を告訴した後に逮捕されると思っていた同修が多くいた)、香港問題への執着、台湾選挙への執着など、様々なことへの執着が何度も繰り返して現れていました。

 執着すると同時にそこには何が隠されているのでしょうか?  外に向かって求めているのではないでしょうか? 闘争心や歓喜心、復讐する心があるのではないでしょうか? 期待を常人に寄せる傾向があるのではないでしょうか? 偉大な師父は法を正しておられ、すべてのことは法を正すことを中心に回っているのですから、どうして希望を常人の情勢に託しているのでしょうか? どうして環境の変化を1人の常人に託すのでしょうか?  『二〇〇二年米国フィラデルフィア法会での説法』の中で、師父は「以前既に話しましたが、実は常人社会で起きた全ては今日においても、皆大法弟子の心によって促成されたのです」と説かれました。私は個人的な理解では、大法弟子は常人社会のことを執着すればするほど、環境はますます複雑になります。師父は「人心が変われば、物事が正しい方向へと変化します」[1] と説かれました。「人心が変われば」、どこへ変わるのですか? 正念を変えればいいのです。常人のことに執着する、これは正念とは言えますか? 違うでしょう。

 今、多くの正義感の強い国際社会の政府、団体、個人が立ち上がり、正義を守り、中国共産党を包囲討伐しています。包囲討伐していると言うより、彼らは選択をしていると言った方が正しいのです。すべてのことが法を正すことを中心に回っているからです。なので、私たち大法弟子は物事の軽重を取り違えてはいけません。社会状況の変化は、私たちの三つのことの結果であり、助けでしかありません。

 また、特に大災害や疫病、予言に執着している同修もいて、予言のことは師父が承知されたものだ、と強調しています。迫害がいつ終わるのか、何月何日にウイルスが来るのかなどを友人や親戚に伝えています。その結果は一目瞭然です。師父に要求された三つのことの中には、このようなものがあるのでしょうか?

 個人的な体験なので、適当でないところがあれば、同修の指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『理性』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/9/7/411426.html)
 
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