恐れる心に対する試験
■ 印刷版
 

文/瀋陽市の大法弟子

 【明慧日本2020年9月18日】数年前の江沢民告訴案件は、多くの修煉者の心に影響を及ぼしました。当時のことを思い出すと、まるで試験会場に入ったような感じでした。私自身の修煉の過程は、映画のように一幕一幕が目の前に現れてきました。修煉の詳細も含まれていました。告訴状を書き終えると同時に、恐れる心も飛び出してきました。よく考えてみれば、これはよいことではないでしょうか? 恐れる心を取り除く時が来ただけなのです。

 『精進要旨三』「至難の関から抜け出す」の中で、師父は「恐れの心は、人々に間違ったことをさせることができ、人々に機縁を失わせることもできます。恐れの心は、人間が神に向かっていくときの至難の関です」と説かれました。数年前から、恐れる心が出てきた時に、私はこの恐れる心に生き延びるチャンスを与えないようにしていました。

 学法グループに行って初めて私だけでなく、同修たちも恐怖心を露(あら)わにしていたことに気がつきました。皆が自分の恐れる心を話してくれた時、その言い訳は本当に馬鹿げていると思いました。ある人は「家族にバレたら、怖い」と言い、ある人は「この学法グループの環境を守らないといけないため、戸籍の住所を書けないでいる。しかも、家族を巻き添えにしたくない」という声もありました。

 この恐れる心が出てきたら、保留する訳にはいきません。同修たちは、自分たちの暴露された執着心に取り組んでおり、「江沢民訴訟」を利用して、その過程で、中国の法律の詳細をよりよく理解し、法輪功迫害に関わった人々の罪、その罪を犯した結果をより明確に理解しました。江沢民訴訟は、大法弟子たちの慈悲を示すもので、目的は世界のより多くの人々を救うということです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/6/17/311008.html)
 
関連文章