胃がんが治った 九死に一生を得る(1)
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――法輪大法の病気治療と健康維持の奇跡的効果(10)

文/中国の大法弟子

 【明慧ネット2023年1月15日】胃がんは、世界で最も一般的ながんの 1 つです。2020 年の統計によると、世界中で毎年約108万9千人が新たに胃がんを発症し、約 76万9千人が死亡しています。そして中国は、世界でも胃がんの発症率と死亡率が高い国の1つです。毎年の新規胃がん患者数は約47万8千人で、世界の約46%を占めています。そして、毎年約 37万3千人が胃がんで死亡しています。

 人は健康な体があってこそ、幸せな人生を送ることができます。しかし、多くの患者が末期症状であり、恐怖と絶望の淵に立たされています。しかし中には、さまざまな縁で法輪大法にめぐり逢って修煉し、絶望的な状況から立ち直ることができた人もいます。病気で絶体絶命の危機に瀕している方々が、そうした実体験を知ることで、新たな希望の扉を開くことができると信じています。

 胃がんを患った公安部退職者 大法修煉で無病状態になり全身が軽くなる

 葉浩さんは、1937年生まれの福建省の人です。精華大学の電子学科を卒業し、中国共産党公安部を副局長の等級で退職しました。

 しかし葉浩さんが19歳だった1957年、学校で右派のレッテルを貼られ、農村に下放されました。精神的なプレッシャーが大きく、毎晩眠れませんでした。そして1963年には奇病を患い、何も食べられなくなり、食べると吐きました。生きる為には、戻しそうになった物をもう一度飲み込みました。一回の食事で何度も吐き、全身が崩壊寸前でした。葉浩さんは医者に行って検査をしましたが、医者は「胃がん、食道がんの末期の症状なので、どうすることもできない」と診断したのです。

  葉浩さんは治療のため、病気に関することを自ら調べました。1978年には医学書を読み、漢方と西洋医学も学びましたが、役に立ちませんでした。鍼灸を学んでも効き目がなく、食事療法や薬事療法も研究しましたが、効果はありませんでした。

 そして1978年、回復の見込みがない身体を引きずりながら北京に戻りました。葉浩さんは救われる道がないと感じ、気功の研究と生命の神秘を探求し始めました。そして14年間にもわたって懸命に探し求めたところ、ついに法輪大法に出会いました。

  1992年6月25日、葉浩さんは法輪功の創始者である李洪志先生によって北京で開催された最初の功法伝授クラスに参加しました。葉浩さんは、李洪志先生の博大で深遠な法理に感服し、法輪功の奇跡的な病気治療効果に衝撃を受けました。それ以来、葉浩さんは法輪功の修煉に専念することにしました。すると虚弱で病弱だった葉浩さんの身体は、日に日に丈夫になっていきました。彼は大法の法理に従って心性を修め、思想境地は急速に昇華しました。

  葉浩さんによれば、以前のあらゆる気功はすべて病気治療と健康保持のものであり、あえて神仏について触れたことはなかったと言います。法輪功は神仏について明言し、人間の次元を超えた法理を説き、宇宙の真理を明らかにしました。これは病気治療と健康保持だけでなく、彼が追究したかった道でもありました。彼は「師父が伝えられた佛法は偉大で、天地開闢以来の真実の法です」と語っています。

  1993年に開催された東方健康博覧会では、関係者による妨害もあったのですが、組織委員会は葉浩さんに公安部長との調整役を買って出るよう求めました。公安部長は葉浩さんを見た時、非常に驚いて、「あなたはすでに...のではないのか」と言いました。葉浩さんは「自分は法輪功を修煉したことで、今では身体が完全に良くなったのです」と答えました。葉浩さんが自分の来意を説明すると、公安部長は、博覧会が予定通り順調に開催できるように取り計らうことを快く同意してくれました。

  現在、葉浩さんは85歳です。耳もよく聞こえ、老眼もなく、背筋もまっすぐで、頭脳明晰です。若者のように張りのある良く通る声をしています。

'图1:叶浩及家人在加拿大。'

写真1:カナダ在住の葉浩さんとその家族 

 胃がんで瀕死の状態にあった服飾デザイナー 大法を学んで九死に一生を得る

 楊麗さんは、安徽省安慶市在住で1947年8月生まれです。安慶市の芸術学校で黄梅歌劇を専攻し、卒業しました。文芸の仕事に従事した後に服飾のデザインを専従していました。

  1990年9月、楊麗さんが衣装デザインを描いている時に突然吐血し、口いっぱいの血の塊を吐きました。急いで病院に行って検査したところ、ヘモグロビンはわずか4.6グラムでした。その時、全身に黄疸症状が出て、爪まで黄ばんでいました。

  楊麗さんは不安を感じ、すぐに116海軍病院に検査に行きました。胃内視鏡検査を受けたところ、中期から後期の胃腺がんと診断され、すぐに手術が必要でした。医師は「手術しなければ12月までもたないでしょう」と言いました。楊麗さんが受けた手術は胃全体を切除し、幽門と食道をつなぎ合わせる手術です。食道は2センチ切断し、噴門には6.5×8センチで厚さ2.5センチの腫瘍があり、これも切除されました。手術は午前8時に始まり、午後5時まで行われました。手術室から出てきた時、彼女は意識不明の状態でした。

  医師は楊麗さんの家族に「余命は長く見積もっても2年でしょう」と告げました。彼女は毎日点滴が頼りで、水を少しだけ飲みました。医者から水分の多い重湯のようなものなら飲んでもいいと言われ、家族は重湯や牛乳を彼女に与えました。しかし医者は「彼女は牛乳は飲めません、胃が受け付けないでしょう」と言いました。楊麗さんはそれを信じず、ほんの少し牛乳を飲んでみました。すると痛みのあまりベッドでもだえ苦しみ、全身汗だくになりました。こんな状態に陥るとは、まるで想像もしていませんでした。すぐに注射を打たれて、やっと落ち着きました。彼女は食べた物を40分もしないうちに、すぐに排泄しました。

  化学療法を数回行った後、楊麗さんの髪は抜け落ち、高熱が出て、食べた物をすべて吐きました。血液検査の数値は、白血球は2100にも満たないほど低く、血小板、ヘモグロビンの数値もとても低かったのです。そこで医者は、もう化学療法は出来ないと言いました。再度化学療法を行えば、死亡する可能性がありました。

 その時、彼女は重湯をすすることしかできませんでした。胃のすべての迷走神経を全部切断してしまった為、胃酸がなくなってしまったのです。吐いた物は酸っぱくなく、苦みだけがある胆液でした。彼女は腕を挙げることも、後ろを向くこともできませんでした。楊麗さんは、まさに人間でいることはとても苦しいのだと思いました。彼女は、絶望的な痛みで苦しんでいました。

  1995年、医者は楊麗さんに余命3か月と告げました。彼女は、病院の治療を受けるのを諦めました。家に帰り、死を待つばかりの状況の時、友人から「合肥市での法輪佛法」の資料を手にしました。法輪功修煉者の体験談を読んで、楊麗さんはこの功法はとてもすばらしく、神秘的だと思いました。

  彼女が法輪功をしっかり修煉しようと決心したその瞬間、頭のてっぺんに「パン」と何かが弾けたのを感じ、黄色と白、白と黄色の光線が書斎の屋根の方に射し込みました。楊麗さんはすぐにそれが何であるかを理解しました。両手を合わせながら、「弟子は分かっています。師父は私を弟子として受け入れてくださったのですね。私は必ず法輪功をしっかり修煉します。私は如何なるものも信じませんが、法輪功だけを信じます」と感激しながら言いました。

  彼女は毎日煉功学法をするようになり、真、善、忍に従って自分に要求します。知らず知らずのうちに体力がつき、肘や眼球の痛みも消えて、身体が楽になったのを感じました。

  2年目の春、楊麗さんは煉功場で煉功しました。その1か月後には自転車に乗れるようになりました。体力が回復し、何でも食べられるようになりました。まさに何の病気もなくなり、身体が軽くなるのを感じました。楊麗さんは法を得た興奮と死から逃れられたことで、恐怖と絶望から脱却しました。新たに生まれ変わった喜びは、言葉に言い表せないほどで、その時とても幸せを感じました。

  27年過ぎた今でも、彼女は依然として健康なままです。彼女は「師父が私に第2の生命を与えてくださったのです」と言います。このことに話が及ぶと、いつも彼女は師父に対する感謝で涙がこぼれます。

  楊麗さんは「人間は自分の生命を大切にしなくてはいけません。自分がこの世に来て法輪功に出会えたことを大事に思わなければいけません。もし『法輪功』という言葉を聞いたら、それについて調べてください、尋ねてください、そして理解してください。あなたにとって有益であるだけで、不利益なことは何もありません、本当です」と言いました。

'图2:杨丽在读法轮大法主要著作《转法轮》。'

写真2:法輪大法の主要な著書『轉法輪』を読む楊麗さん

 水力発電ダムの設計者 胃がなくなっても大盛りのご飯が食べられる

 魏さんは浙江省出身で、大学の水工学建築学科を卒業し、上海の設計事務所で水力発電ダムの設計を担当していました。そして1986年、一家はカナダに移住しました。

  1995年、魏さんの友人は彼女に法輪功を紹介し、『轉法輪』を渡しました。しかし魏さんは現代の実証科学を学んでいたため、目で見たり触れたりできるもの、科学で実証できるものだけを信じていました。彼女は『轉法輪』のいくつかの理念を理解することも信じることもできず、病気に関する章だけを選んで読み、最後まで読まずにうやむやのまま法輪功との機会を逃してしまいました。

  1996年の初め、魏さんは胃痛を感じ、体力的に自分の身体が支えられなくなりました。トロント総合病院で検査を受けると、胃噴門の入口と出口に癌が見つかりました。魏さんにはすでに選択の余地はなく、西洋医学における最も直接的で唯一の治療法である手術で切除するしかありませんでした。生存本能として、手術を強く希望しました。藁をも掴む気持ちで、「手術! 医者にすぐに手術してくれるように頼んで!」と言いました。

 1996年8月、魏さんの手術は8時間近くに及びましたが、手術自体は成功しました。病院は彼女に最も包括的なケアを提供し、医師、看護師、栄養士、生活支援員などが毎日彼女のところにやって来ました。...しかし、その後のすべては医師の予想範囲内でした。

 手術が終わった後、魏さんはほとんどベッドで寝たきり状態でした。胃も結腸もなく、食べ物も水も身体がまったく受け付けず、少しでも食べるとたちまち身体に拒否反応が出ました。食べなければ眩暈がし、食べると苦しくなりました。さまざまな人々が毎日彼女を取り囲み、点滴によって生命を維持しました。手術をする以前には、魏さんは歩いたり、家事もできましたが、「手術後は自分のことを自分でまったくできず、一切を他人に頼らなければなりませんでした。自分が辛いと、家族も同じように辛いのです」と魏さんは言いました。

 魏さんは「たとえ周囲の多くの人が私の世話をしてくれても、生活能力を失ったこの生活は私にとって苦しみそのものです」と言いました。この時にしみじみと感じたことは「もともと1人の人間の最大の苦痛は死ではなく、死んだも同然の状態で生き続けることです!」。そして「もし私の生命がこの状態のままであれば、生きる意味はありません」と言いました。有能で精力的だった魏さんは絶望し、ついに病魔によって打ちのめされ、点滴を打つことも拒否しました。医者は彼女に液体栄養剤を与えて生命を維持しました。ある日、看護師が「この状況では長くても半年も生きられません」と言いました。魏さんはそれを聞いて少しも驚かず、「こんな状態で生きるくらいなら死んだほうがまし、こんな生活なんて惜しくない」と思いました。

 魏さんは、自分の命がすでに長くないのを悟っていたので、『轉法輪』を新たに読んで、一体何が書かれているのかを見てみたいと思いました。今回は、注意深く最後まで2度読みました。2度読み終わった後、彼女はすでに理解しました。「法輪功は普通の気功ではなく、修煉だ」そして、「人の世はこのようになっており、とても苦しいのだ。それなら残りの時間で修煉して生きよう、来生はこんなに苦しむことがないように」と思いました。

 本を読んで煉功した後、魏さんは日に日に変化し始めました。今回真剣に『轉法輪』を読んだことで、彼女はまったく新しい人生観を得ることができました。彼女は人生の意義を知り、人になぜ病気や苦しみや難があるのかを理解しました。気持ちはたちまち明るくなり、体力も徐々に回復し、食べたり眠ったり、歩くことも普通にできるようになりました。消化機能も正常に回復し、お粥であろうとご飯であろうと何でも食べられるようになり、特に麺類を好んで食べました。およそ1年間で、魏さんは完全に健康を取り戻しました。

 死の淵から戻って来た魏さんは、その幸福感を何とも言い表せません。彼女が最初にすることは家事と掃除です。その後、彼女はレコーダーを背負って煉功場へ行き、毎朝皆と一緒に煉功しています。煉功場では自主的に補導員をやり、家では孫の世話で忙しくしています。

 26年が過ぎましたが、現代医学で死の宣告を受けた魏さんは、法輪功の修煉を通して第2の人生を得ました。現在も依然として法輪大法を修煉し大道を歩んでいます。

'图3:二十六年前被医院判了死刑的魏太太,现在健康的生活着。'

写真3:26年前に病院で死の宣告を受けた魏さん

続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/6/447721.html)
 
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