最後の執着を取り除こう
 

 大法と大法の学習者は歴史上、かつてなかった最も邪悪で、最も悪らつな破壊的試練を経てきました。大法と学習者は真に法を正す最も偉大なる修煉者の現れをもって歩んできたのです。人間世界の一切の人、一切の組織と団体はみな、世間から何かを得ようと思い、人類社会で行動しています。それに対して、大法弟子たちは人間の生命に対する執着を含む、一切の常人の執着を取り除くことで、さらなる高い次元の生命の境界にまで達しています。ですから、わたしたちは人類史上、最も邪悪で、最も悪らつ、最も卑劣な迫害の中を乗り越えてくることができたのです。これはそれらの邪悪な堕落した者たちには思いも及ばなかったことです。

皆さんは合格し、基準に達した真の修煉者なのですから、金銭や物質的な利益に屈することはなく、これは修煉者が本来放下すべきことです。しかも、これらの修煉者は生死まで放下できるのに、まだ死の威嚇を恐れるのでしょうか? 人類の中のひと握りの堕落した者がまだ悪事を働き続けていますが、天体の中の高い次元の最も邪悪な生命は法が乾坤を正している中で、すでに根絶されましたが、最も表面にいる人類の邪悪の徒も、間もなく法がこの世を正す中で根絶され、その中で造った一切の罪を償うのです。

現在、中国大陸で一部の工作員が学習者を名乗り、学習者を拘束する強制労働所などの場所に潜入して、破壊活動を行なっています。圓満成就したと自称するなどの手口で学習者をだまし、学習者は皆すでに圓満成就したので、もう煉功する必要はない、最大限に常人に符合するのだ、本を上納するのだ、等々のたわ言をもって、難の中でこれ以上この世に留まりたくなく、一日も早く圓満成就しようと考えている学習者を騙しました。わたしは法の中で皆さんに、最大限に常人に符合しながら修煉するよう教えましたが、常人に符合するようにと話したことはありません。常人と同じになってしまうなら、まだ修煉者なのでしょうか? 大法弟子の皆さん、未来の佛、道、神が、なぜこれらの邪悪で馬鹿馬鹿しい太鼓持ちの隙につけ入られることなど、できるのでしょうか?

実のところ、これは最後の執着を放下する時期が来たのです。修煉者として皆さんは(人体への執着も含む)一切の世間の執着を放下することをすでに分かっており、これを成し遂げることもでき、生死を放下する中から歩んできたのです。ならば、圓満成就に執着することも執着ではありませんか? これも人心が執着しているのではありませんか? 佛が圓満成就に執着しますか? 実は、真に圓満成就に近づいている修煉者にはこの心はありません。わたしが法の中ですでに説いたように、学生はただしっかり勉強しさえすれば自然に大学まで進んでいきますが、大学そのものに執着して、しっかりと勉強しなければ大学に入ることはできない、という道理です。修煉者に圓満成就の願望があっても間違いではありませんが、考えを法の上に置き、絶え間なく修煉していく中で、知らず知らずのうちに圓満成就の基準に達するのです。特に、苦痛の中で耐えることのできなくなった学習者に、この世を離れて早く圓満成就したいという考えが最も生じやすいのですが、そのため邪悪によって隙につけ入られてしまいます。皆さんはすでに最も困難な時期を乗り越えてきたのですが、最後の執着の中、くれぐれも心を放下してください。弟子の皆さんの苦痛はわたしにはすべて分かっています。実は、皆さん自身よりもわたしは皆さんのことを大切にしているのです! 宇宙の中でかつてない速度で、天体内の一切の邪悪を根絶しています。

過ぎ去ったこの一年の中で、学習者自身の業力、法への認識不足、難の中で放下できなかった執着、辛い関を越える中で正念をもって対処できなかった、等々のことは、みな邪悪が迫害を強めた主要な原因で、邪悪が本当に法を破壊する根本的な口実です。しかし、修煉者は修煉の中で、たとえいくら代価を払おうとも、圓満成就する時には必ず、それ相応のものが得られるのです。皆さんも覚えていると思いますが、わたしが法を説いた時、ある学習者が、「修煉者は自分の生命が生じた時よりさらに高い果位まで修めることができますか?」と質問したではありませんか。修煉者がたとえどのような情況にあっても生死の念を放下できたならば、邪悪は必ず恐れ慄いてしまいます。すべての学習者がみな、それができるのであれば、邪悪はおのずと消滅してしまうのです。皆さんはすでに相生相克の法理を知っていますが、恐れる心がなくなれば、あなたを恐れさせる要素も存在しなくなります。これは強いて行なうことではなく、本当に平然と放下することによって達することです。皆さんが難に見舞われているのを見て、師父は皆さんよりも辛いのです。皆さんが正しく歩んでいないとき、わたしはいつも心がとても痛んでいます。実は、邪悪がしでかした一切のことは、すべて皆さんがまだ放下していない執着と恐れる心に対して手を下しているのです。皆さんは佛、道、神に向かって歩んでいる未来の覚者であり、世間の得失を求めていないのですが、そうであれば何でも放下できるはずです。この時、皆さんにもし圓満成就に執着する心がなければ、邪悪が最後の隙につけ入る手立てはありません。

学習者を装う堕落した者が皆さんを動揺させるとき、それらの多くは「自分は学習者だ」とか、「すでに圓満成就した」等々のたわ言を言っています。皆さんが生死を放下できたのは非常に素晴らしいことですが、圓満成就のために執着が生じてもいけません。これは、漏れがあるということです! これはまさに邪悪につけ入られるところでもあるのです。それらがすでに自分は圓満成就したと言うのであれば、皆の前で空に飛び上がらせたり、『轉法輪』の一節を暗唱させてみてください。圓満成就したならば、果てしなく光り輝く神や、佛や、道となり、一切の佛法神通を備えた神の偉大なる形象となって、人間の姿かたちはありません。強制労働所に潜入し、神のふりをして、たぶらかしている太鼓持ちに、どうして大法弟子をだますことができるのでしょうか? それらは何十人、何百人の人間のくず、人を騙すものを使って茶番劇を演じてはいますが、一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです。

現在、天体内の邪悪はすでに根絶され、三界内もすべて法によって正されました。ただ物質の外側の最も表面の部分だけが、すみやかに突破しつつあり、すでに大法弟子(未来の佛、道、神)を死亡させたり、怪我をさせた悪らつな凶悪犯と人類の堕落した者に近づいています。

最後の執着を取り除きなさい。皆さんが修煉の中で成し遂げたすべては、すでに皆さんの未来の限りなく美しい、神聖な果位を成就させています。一歩一歩をしっかりと歩み、自らすでに実証したすべてのことに泥を塗らないようにしなさい。皆さんが修めて出来上がったその部分が、さらに純正な輝きを放つようにしましょう。

 

李洪志

二〇〇〇年十月五日

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2000/8/12/110.html)