小学校から大学まで、修士から博士まで、それにポストドクター及びその後の腫瘍に関する研究の仕事、私は現代科学の教育を受けました。特に文化大革命を経歴し、農村に行って農民の教育を受け、さらに一貫した長期の無神論教育の影響で、以前は気功や仏、道、神の存在を信じませんでした。1986年にアメリカに来てから、私の家族はずっと教会が積極的に布教しようとする対象でした。しかし、《聖書》はずっと私の思想中の疑問を解決できず、家族はキリスト教の“党外のボルシェヴィキ”でした。私も教会の友達に“攻め落とせないトーチカ”と呼ばれました。
97年、初めて外国に来た時、いとこが極力推薦したことにより、私は《転法輪》を読み、その深い法理に感服しました。李洪志先生の人類社会に対する記述は時宜を得ています。世紀の接点にある人類の世界を見れば、科学技術は日進月歩ですが人類の道徳観念は凄い速さで下に滑っていきます。人類には心法の拘束がないため、あらゆる醜悪な現象が社会の至るところに溢れています。中国大陸で物に対する欲や偽物が溢れるだけでなく、私達の心にある比較的、理想的なアメリカ社会でも道徳標準が物凄く悪くなったのです。
法輪大法は人の心に直接に向かい、“功の高さは心性の高さと同じです”と強調し、“宇宙の特性である真、善、忍にしたがって修煉して、常人中の欲望、良くない考え及び悪いことをする思想を取り除いて”という事こそ、真の返本帰真に達すると明らかに述べました。わたしはこれらのわかりやすい言葉と聞いたことも無い道理に深く感動しました。法輪功の修煉は複雑な社会環境中で行ない、人と人との矛盾中で鍛錬し、心性を高めることを要求します。良い人間となることから始め、物質上に何かを失うことではなく、人間の色々な良くない考えを捨て、修煉すれば修煉するほど思想が高度な純正に達し、境界が高くなるのです。大法は人間の心を震わせ、わたしの思想の中に共鳴を起こしました:法輪大法を修煉することこそ、自分の心の理想的な境界に達する唯一の道です。
以下のようなもっと神秘的なことがありました。私は以前、良く頭痛がし、腰椎の間骨が突き出し、職場の病院で6年間治療しましたが、治りませんでした。しかし、わたしが法輪大法の書籍を勉強する間に、それらの病気が治りました。このことが大法への信念をもっと堅くしました。
二年来、法の勉強と煉功により、“真、善、忍”の標準で自分を要求し、知らないうちに過去の執着していた個人の得失の煩悩がだんだんなくなり、心がもっと善良で穏やかになりました。科学研究の仕事のほかに、ある中国語学校の校長をしました。大法を修煉し始めてから、何らかのことと矛盾に遭う時、自分を反省し、自分の原因を探したので、各種の問題が簡単に解決できました。
わたしは何年も医学研究に携わり、腫瘍に関する治療と原理の研究に従事したので、人体科学に対して、分かっていることが普通の人よりはやや多いです。生命の概念を例として、自分がどのように《転法輪》で異なる次元中の生命、異なる時間と空間の概念に対する理解をもっているかを述べたいと思います。
普通の人は動ける、生きられるものが生命だと思っています。人間、動物、植物、これは肉眼で見えるのです。真菌や細菌まで、これらの、細胞形態を持つ生命は顕微鏡などを使わないとその形態と存在を観察できないのです。病毒自身は動けず、単純な二、三個の分子の集積ですが、事実上、彼らも活きているものであり、自己繁殖ができる生命です。あなたは“病毒が基因を持ち、自己コピーできるので生命だ”と理由付けをすれば、もっと簡単なpreonは基因も持ちませんが特定の条件により繁殖ができ、ただの簡単な蛋白質ですが、牛に癬を掛けさせる生命の一種です。われわれの同一の空間にも異なる次元の生命が存在することにより、李先生が教えた“異なる空間には異なる生命がいる”を理解し易くなります。
もう一つの例として、人体はもっと詳しく解析すると、器官、組織に分けることができ、その下は細胞、更に細胞を構成する分子です。人体の正常生命を維持するために、全ての器官は皆その機能が働き、彼らは皆活きているものですが、それらの器官の正常機能はまた活きている細胞により維持されます。私の仕事の多くは細胞を培うことです。高倍率の顕微鏡の下で、異なる細胞は形態が色々です。それは、本当に多彩な世界です。われわれの普通の時間概念で細胞を観察する時、それは動かず、静止した物ですが、時間軸を変えると、5分間毎にビデオを使って一回記録し、24時間観察してから、その撮ったイメージを普通の速さで連続に再生する時、それらの細胞は絶えずに動いていて、緊張し且つ忙しく、生存、繁殖しています。およそ、人類と似ているように、衣食住居、後代の繁殖のために死ぬまで絶えず働いています!細胞、このレベルの生命がかつてその上には組織、器官及び人体、このような生命形式がいることを知らないことは常人がこの宇宙には仏、道、神という高級生命が存在することを知らないのことと違いはありません。
もう一つの例を挙げ、わたしの多次元空間に対する理解を話します。同じ時間座標軸を使って、一つの直線を引けば、線の上の“点人”が一次元の空間で生活し、彼のこの直線に沿っての行動がはっきり見えます。一つの平面を引き、その上の一つの“片人”が上下に運動でき、彼は一次元空間の点と自分のいる二次元空間のことがはっきり分かりますが、三次元空間に生活しているわれわれの行動様子をどうしても理解できません。同じ道理で、われわれ人類は四次元空間及びその以上のもっと高次元空間にいる仏、道、神がどのように生活しているかを理解しにくいのです。修煉、円満しかありません。われわれが自ら高次元空間の生命になるしか、その空間にいる生命の存在形式を理解できません。
《転法輪》は異なる次元まで修煉できる人に対し指導意義を持つ宇宙大法です。李先生はこの本では法理のほかに、初心者に対して、普通の人間が理解できる言語と範囲内で例を挙げるしかありません。幼稚園の子供に道理を説明するのと同じことです。修煉者に対して、心性が修煉の過程に絶えずに高まり、レベルも高まります。その次元の法理も悟ることができるようになります。“真、善、忍”の法理は簡単で分かりやすく見えますが、本当に修煉し始めたら、それはとても難しいことです。一杯の綺麗な水も机の上に置かれると各種の物質に汚染され、このような状態から元の綺麗な水に戻るのはとても難しいです。この二年間の修煉を通って大法の神秘が深く感じました。