文/大陸大法弟子
2000年3月、私は不法に北京市の女子刑務所に閉じ込められました。当時、女子牢は三つの区分に分けられ、一つの区分に八つのクラスがあり、一つのクラスに16人がいました。そして、クラスごとに一人の班長と二人の互監組長を設置しました。私たちが不法拘禁される前に、牢屋側はもう十分な準備を行っていました。大法を誹謗する資料で牢屋の警察と囚人を洗脳し、彼女たちに大法と大法弟子を敵視させること、適当な説教人を準備し、われわれを厳しく監視することを含みます。
大法弟子のベッドは監視カメラの正面に割り当てられ、警察が24時間監視することができます。説教人のベッドはわれわれの上層に置かれ、随時われわれの行動を監視します。労働でも、洗面でもお手洗いに行ってもわれわれにフォーローされます。毎日、上司に資料を整理し、私たちの行動を報告します。班長と組長も私たちを監視します。警察は常に彼女たちから私たちの行為を了知しています。夜、当番の囚人は私たちの部屋のドア前に座り、時々、部屋に入り、検査します。廊下、洗面所、トイレでは皆監視カメラを設置し、寝るときも、ライトをずっと点けています。どんなところでも、私たちの行動は厳しく監視されます。しばらく、これは「610法輪功取締り事務所」の同一規定であり、私たちが法を勉強すること、煉功、功の伝えを防ぐためのことであるとわかりました。大法弟子が異なるクラスに配られ、普段洗面所や運動場で会っても話し合うことを禁止し、誰と話しても説教人が側にいて話す内容を詳しく聞き取ります。私たちが何か書くとき、彼女たちがすぐ来て書いた内容をチェックします。メッセージが外から入ることを心配し、私たちは普通囚人が使える“親情電話”を利用できません。毎月、親類との面接は単独であり、少なくとも二、三人の警察が側に座り、時々家族との談話内容を録音します。私たちが屈服しないため、私たちの差し入れ許可水準はずっと最低です。
2000年10月、私たちが煉功したため、刑務所が私たちに対する監視はもっと厳しくなりました。説教人は四人まで増え、昼と夜では二人ずつです。昼、私たちが部屋を出て労働を参加することを禁止し、私たちの活動範囲は十何平米の牢屋に制限されました。大法弟子が話し合う可能性を排除するために、全区分で洗面所、トイレに行ってもクラスごとに行きます。もし、ある大法弟子が洗面所やトイレに行ったら、私がクラスを出ることができないのです。彼女がクラスに戻るまで、私がずっと待ちます。こうして、大法弟子の間が談話だけでなく、会うこともできませんでした。
刑務所では“互監グループ制”を実施します。刑事犯も単独に行動できません。必ず、班長や互監組長がフォローします。何らか事件があるとき、皆責任を負います。新しく囚人が来ると、必ず持ち物を詳しく検査します。敷布団と掛け布団を破って検査し、トイレットペーパーも全部開けます。毎週、警察が牢屋を整理し、犯人を牢屋から離れさせ、全ての持ち物を検査します。囚人の自殺を防止するために、ハンガー上の鉄のかぎ、エナメルの弁当箱、ステンレスのスプーン、全ての縄、帯などは皆禁制品と見なされ、保存できません。練り歯磨きでも、鉄皮を付けたものは使えません。
2001年元旦の後、多くの大法弟子が監禁されるに連れて、刑務所の管理がもっと厳しくなります。警察は24時間、大法弟子の行動を緊張しながら監視します。昼、三人の説教人がフォローし、労働を参加しなくても満点と見なされます。夜、二人の囚人が順番で、大法弟子のベッドの前を監視します。警察が監視室に居て、視線に大法弟子が居ない限り、すぐ小型スピーカで、名前を呼びます。あるとき、私が掃除し、あるいは見えないところに座り、トイレに行っただけで、小型スピーカがすぐ鳴きわめきます。夜、当番の囚人が居眠りをすれば、廊下にいる当番警察が来て、彼女を呼びます。大法弟子にはやはり話し合う機会がありません。一人の大法弟子の名字が劉で、彼女が最初来たとき、牢屋の制服を着なくで絶食しました。警察が説教人とクラスの他の人に彼女を孤立させ、虐待させました。二週間一回のお風呂に入ることもできなくなります。クラスでよい囚人が彼女に自分の日常生活用品をあげ、彼女と話しても警察に叱られました。
ハルピンの萬家強制労働矯正所が堅く節操を守り屈服しない大法弟子に対する厳しい管理と迫害の面できっともっとも酷いと考えられます。このように厳しい管理の中で、大法弟子が“自殺”、そして“集団自殺”をする機会を持つことは荒唐無稽な話しです。少しでも考えてみれば誰でもその後ろの真実が分かると思っています。