日本明慧
河北省河間市の警官が大衆の前で大法弟子を不法に連れ去る
 
 【明慧ネット】2001年7月16日の夜9時、3名の大法弟子が偶然にある大法弟子の家で会った。行ってから20分後、ちょうどそこを離れようとしたときに、その家が警察に包囲された。
警察は扉をたたきはじめたが、大法弟子は扉をあけなかったので、警察は壁を乗り越えて入ってきた。およそ十数人の警察官がおり、その中の市公安局政保課の張春楊が西の窓を蹴り破り、ベランダから室内に入ってきた。それに続いて数人の警官も入ってきた。この時テレビ局の李志鋼が勝手に録画を始めた。そのほかの警官は、ある者は彼女たちが動かないように監視し、またあるものは家財をひっくり返し始めた。都艶霞さんは庭を一回りしていたが、政保課の白書迎が「都艶霞、あちこち動き回ったら逮捕するぞ。」と言った。警察たちは室内に法を広めるための資料や横断幕などの品を見つけたので、これを理由として白書迎が逮捕を命じた。その声を聞くや否や、5名の大法弟子は一斉にある部屋に駆け込み、戸や窓をしっかり閉めて、邪悪が入ってこないようにした。大法弟子は彼らに法を広め真相を説明しながら、正念を発し邪悪を取り除いた。このとき大法弟子のしっかりとした正念が強烈に邪悪を圧倒したので、邪悪の徒たちはしばらく動けず、このような状態がずっと12時まで続いた。悪人たちは強攻策ではだめだと見ると、方法を変えてきた。彼らは数名の大法弟子の親戚を連れてきて、情を使って一人一人攻略して集団を分裂瓦解させる準備をしてきたが、この全てを大法弟子は早々と見破り、彼女たち一人一人は正念を保ち続け、情で動かされず、邪悪に隙を与えないようにした。邪悪の徒たちは目的を達成できず、ただあきらめるしかなかった。この時はすでに午前3時頃であった。庭の中にいる人数は5、60名にも上った。その後、少しずつ散会していった。このできごとの間、一人の大法弟子は邪悪に迎合せずに、ずっとトイレにいた。

次の日の午前9時頃まで、状況は相変わらずであった。この時、にぎやかな様子を見た庶民が次々に集まってきた。しかし彼らは結局警察に追い出された。邪悪の徒たちが行った全ての事は人に見られてはいけないもので、暴露されるのが恐ろしかったので、彼らは夜に人を捕まえにきたのだと、私は思います。夜に人を捕まえる目的が達成できなかったので、庶民が見るのを許さなかったのです。しかし庶民は庭から出ていった後、まだたくさんの人が屋根に上って見ていた。この時、邪悪の徒はついにその本質をさらけ出した。政法委書記の張嘉俊や市公安局政委の王樹奇と政保課課長の白書迎による秘密の計略に従って、彼らは武装警官を呼び寄せた。この武装警官たちは鉄兜をかぶり、手には高圧水銃を持って、すぐに窓を破り、同時に部屋の中に入った。一人の警官が先に部屋の中のベッドをひっくり返し、さらに数名が高圧水を大法弟子に浴びせた。大法弟子は目が見えないまま手錠をかけられた。手錠はとてもきつく、肉に食い込んでいた者もいた。武装警官は手錠を引っ張って大法弟子を室内から出入口まで連れていき、その後、一人一人をパトカーに放り込んだ。人が折り重なったため、彼女たちは呼吸ができなかった。この時、武装警官が大声で罵りながら、「xxの腕をへしおってやる」という邪悪な言葉を叫んだ。この数名の大法弟子は、ある者は髪の毛を引っ張られ、ある者は顔を踏みつけられ、ある者は腕をひねられた。このような時でも「法は乾坤を正し、邪悪が全滅する」「法は天地を正し、現世で応報に遭う」という彼女たちの叫び声は絶えることがなく、その声が宇宙に響きわたり、邪悪の徒たちは肝を潰してぞっとした。この時、周りを取り囲んで見ていた群衆はすでにとても多くなっており、このような大衆の目の前で、邪悪の徒はみっともないやり方で6名の大法弟子を連れ去っていった。

この6名の大法弟子は全身泥まみれで、ある者は靴をなくし、ある者は衣服が破られ、ある者は皮膚がたくさんすり切れ、その様子は見るに忍びなく、しかも非常に悲壮であった。

現在、都艶霞と鄭秀芬はすでに唐山強制労働矯正所に送られ、その他の数名の大法弟子は拘留されている。善良で正義感を持つ方々、どうか助けてください。善には善の、悪には悪の報いがあります。善良な観衆の皆さん、将来のある日邪悪の徒たちが裁判にかけられた時、どうか証言してください。