日本明慧
湖北省麻城市白果鎮の警察署はまた新たな罪を犯した
白果鎮の警察署が4人の大法弟子を虐殺したという情報を知った後、数名の大法弟子は集まって打ち合わせをした。 結局白果鎮に行って真相を伝え、他の空間の邪悪を根絶すると決めた。7月6日夜私達4人が真相の資料を配っていた時、 当地の警察に捕まった。警察署に連行されずその場で我々を殴り付けた。そのうち三人の警察が大法弟子の謝さんを抑え倒して、 殴ったり蹴ったりしていた。当時謝さんが「警察が人を殴ったよ!」と叫んでいたが、彼らは謝さんの叫んだ声を聞くと、 更に激しく滅多打ちにした。その時謝さんの体は傷だらけになった。その後我々は当地の魔窟——白果鎮の警察署に強制連行された。

警察署についた途端、六、七人の警察が狂犬のように私を取り囲んで殴ったり蹴ったりして、電気の棒を用いて私の頭、 顔、口、背中、腰、尻、足などを電撃した。滅多打ちされた後、私は大小便失禁となり、下半身は出血した。

 その日の夜、私は正念を発して魔窟から逃げ出したが、道が分からなかったため、結局また捕まえられた。 再び邪悪らは更に残酷に私を滅多打ちにし、全身傷だらけとなり、また大小便失禁となった。滅多打ちされている時、 私を跪かせようとしたが、私は大法弟子であり、決して邪悪に向かって跪かないと断固として断った。かくして、 邪悪な暴徒らに気が狂うほど拷問され、完膚なきまで苦しめられた。

 7月7日午後、他の二人の同修と共に第一拘留所に押し込まれた。拘留所の看守と犯人は、私を見ると驚いてぽかんとしていた。 皆は「白果鎮の邪悪な暴徒は人間性がない、鳥獣にも劣る」と言った。7月9日夜、私に命の危険が現れたが、 拘留所は責任をとるのを恐れており、私に釈放通知書にサインをさせ、釈放しようとした。ところが、 白果鎮の警察署は私を病院に送り、治療した後私を拘禁し続けた。(私は既に釈放通知書にサインしたため、 万が一私が死んだら、彼らは私のサインを出して「既に釈放し、行方がわからない」といえば、何の責任も取らなくても済む)

意識が少し回復した途端、煉功をはじめました。私が完全に危険状態から離脱していない状況の下で、 邪悪らは手錠で私をベッドに縛りつけた。私が重傷であるため、彼らは私を白果鎮の老人ホーム(大法弟子の洗脳班)に入れ、 さらに「傷が治ったら、家に送るよ」と親切めいた言い方だったが、夜になると人員を増やし、より厳しく私を監視した。 彼らの嘘を見破り、正念を発して魔窟から逃げ出し、ここの邪悪を暴き出すと決めた。ついに、師父の慈悲の加持の下で、 私は鉄筋の窓を引き離し、二層の壁を越え(壁の高さはおよそ6,7メートルあるが、楽に越えた)、また法を正す流れに戻ることができた。

私と同時に捕まった他の二人の大法弟子は:  
謝玉坤 27歳 新洲専門学校教師  
金さん(詳細不明):50歳 孔埠鎮農民  
現在まだ第一拘留所に拘禁されている。  
(大陸の弟子原稿提供)