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私は拘禁されている間、天安門広場の放火殺人の真相を知った |
文/大法の弟子原稿提供 【明慧ネット】邪悪の法に対する気の狂った迫害に直面して、私は2001年の正月前の29日に再度首都へ陳情に行った。 陰暦の元旦に北京に着いた。北京には祝日の喜色はなく、至る所に普段着(私服)の警官と制服警官がいた。 前門に着いて、老若男女を問わず、天安門へ行くすべての歩行者が取り調べを受けた。この時3人の警官は私を止めて、身分証を持っているかどうか、どこから来たのか、北京へ何をしに来たのか、大法の弟子であるかどうかを聞いた。私は彼らを相手にしていなかった。心の中で先生の言ったことを思い出した:「邪悪な人に法輪功の修煉者ですかと聞かれた時、無視してもいいし、あるいは他の方法をもって回避してもいいのです。自ら邪悪な勢力に連れられていかないでください。」(「理性」)この時にある警官は大声で「直接答えてください、修錬者であるかどうか。」と言った。引き続いて先生をののしり始めた。私もののしったら通行を許可すると言った。私はののしらず、彼らに「堂々とした国の警官は意外にも人民群衆に人をののしるように教えて、これはどこの理ですか?本当におかしい、これはどんな時世ですか?」と言った。彼らは私がののしらないことを見て、私を大法の弟子だとはっきりと認めて、強行して私を車に連れて行った。車の中で私の身辺を探して、何も見つからなかったことを見て、身長175センチ、20歳ぐらいの警官は、天安門広場を指さしながら私に言った「あなたはきれいな服を着て、間違いなく円満の道に向ってきただろう。よし、あなたは円満しようと思ったら、私はあなたを円満にさせる。私達はガソリンがたくさんあって、あなた達のためにしっかり準備している。一人ずつ一桶で、燃やし終わった後埋める必要もない。」その時私は彼らの話を聞いて、この邪悪の徒は私達の善良な人に対して、まだ何か殺害の手を下すのかと心の中で考えた。彼らはまた何人かの大法の弟子を逮捕して、天安門派出所に送り、午後北京平谷県留置場に送り込んだ。 そこに着いてから、さらに大法の弟子を迫害するために、邪悪の徒は私達の姓名、住所を聞きだそうとした。私達は邪悪に協力せず、大法の弟子は全員集団絶食した。邪悪は私達の姓名を知るために、各種の手段を用いた。冬の寒い中、雪が降っていて、警官は私達の上着を脱がせ、ただ1枚の下着だけで、4階の風に向かう通路で窓を開け、体に冷たい水をかけて、頭からも冷たい水をかけた。棒で殴られ、馬の字のような形で立たせられた。大法の弟子の手足は錠をはめられ、外に吊るされた。便所へ行くのも許されなかった。大法の弟子は顔色が変わるほど殴られた。顔は青色、紫色、黒色になった。彼らはまた何人かの大法弟子を地に打ちのめして、しっかり押さえてからむりやり管を飲ませ、手錠を付けて飲ませられた。彼らは各種の手段を用いて、最後に方法がなくなり、緩い方法で迫害を続けた。彼らは「私達に同情するべきだ」とか、「自分のことは考えなくても、私達のためのことを考えなくてはならない」とか、「他の時期ならいつ来てもかまわないのに、なぜ正月に来るのか」とか、「私達も飯にありつくために任務を成し遂げるので、仕方がない」と言った。また、「私達に本当のことを言わなくても、うそを言っても構わない」と慰めるように言った。私は「私達大法の弟子は、本当のことしか言わない、あるいは何も言わない。では、あなた達はどうして自らうそを書かないの?」と聞くと彼らは「うそを書くにしても、あなた達の口から言い出さないと書かない」言い返した。今回私は、彼らの目的は私達に彼らの邪悪な行為に協力させるためだと気づいた。彼らのすべての言論はただみな子供だましのであることが嘆かわしかった。そこで私達は決して姓名を言わなかった。 夜3時ぐらいになって、私達姓名を言わなかった弟子は特別な牢屋に送られた。その中で功友達はいっしょに交流して、その中の二人の功友は天安門放火殺人(いわゆる「天安門焼身自殺」)の1幕を目にした。その時初めて、人が手で咽喉を覆って、話をしたくて、口に出せない状況を目にした。口を空けて、かあかあと言うだけで、見たところでは恐ろしかった。また1人の若い男がライターを持って火をつけて、火を付け終わってから、そばの乗用車に走り、直ちに運転して逃げた。もう一人の功友は天安門広場の一箇所から突然煙が出て、人々の視線がそっちに移動していったのを見た。この時、ふと見ると、別のもう一箇所で何人かの人の体から火が燃えだした。事後にやっとこれは邪悪が世間を欺くために採用した陽動作戦をした方法であることが分かった。これは29日の午後広場で2名の功友の目撃したすべてだ。その時私は、私達は早くこの場所を離れて、真実の情況を多くの人民群衆に伝えなければならないと思った。 この時一名の功友は再審理されて帰ってきて「この警官は昨日の態度を直した。」と言った。警官は「昨日は申し訳なかった、私を恨まないでください。よく修めてください。よくおさめることができたら、決して私を忘れないでください。みんなはいい人であることを知っていて、私もこのような事はしたくないが、ただ江沢民だけが悪く、下劣な事ばかりやっている。あなた達は今度家に帰って、みなさんに法を実証してもらわなければならない。それは私にもいいことで、悪い事をしないですむから」と言った。 この時私は絶対出て行って江沢民のこのような放火殺人のこと言い出そうと思った。3日間が過ぎ、警官は再審理すると言って、上の階に行って、1人の警官は姓名を言うかどうかを私に聞いて、私は言わなかったうえ、厳格公正に無罪で釈放することを要求した。その警官は釈放しないと言ったが、しばらく経ってから、もう一人の警官が来て、私を釈放すると言った。最後に邪悪はやはり私を釈放することに決めた。
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