日本明慧
厳かで穏やかな正念を保ち続けて二時間のワシントンDCのパレードを歩いた
[明慧ネット]ある功友から台湾でのパレード弘法に参加した体験を聞いたことがある。私はその厳かで穏やかなパレードに激しく揺るがされた。以前の自分を振り返って見ると、地元であれ大規模な法会であれ。いつも談笑しながらパレードに参加していたので、非常に恥ずかしいことだった。これは心性の問題だけではなく、法を深く学んでないことも原因である。

そこで、私は今回のワシントンDCでのSOSのパレードで昔の損失を補い,自分のいる次元で理解した、法が与えた強大な正念で歩き尽くそうと決めた。一方、師父は次のようにおっしゃった:“現在の人類の毎日は皆、大法の求めに応じて按配されたものであり、大法弟子のこの世での行動は歴史に残すためのものです”では歴史の記載としても、未来の参照としても、私達のこのような法を正す過程での最大規模のパレードは、正法修煉の大法粒子の、恥じることのない偉大な行為になるべきだ。

パレードが始まる時、パレード中に確実に無駄話をしないよう自分を戒めた。なぜならパレート中に正念を保つことは、何よりも厳粛なことであるからだ。そして主意識が自分のしていることがはっきりし、正念が非常に強ければ、何も言いたくなくなり、話をする気も起こらないだろう。

笑うことはありえない、功友と挨拶をする時も微笑だけだった。私が手に持っているのは、法を正す為に命まで捧げた大法弟子の写真なのだ。どの角度から見ても笑うのは厳粛ではない。世の中で笑いながら大虐殺を制止するように“緊急の助けを求める”のを見たことはない;中国大陸の同修者は邪悪の迫害に直面する時、大法に堅固で粉砕されない信念と、邪悪が肝をつぶされるような従容を見せているが、私達は少しも容赦せず、堅い決意で邪悪を指摘し、邪悪を取り除くべきだ。

私は強大な正念に覆われ、一歩一歩が力いっぱいに感じられた。目はじっと前方を見て、周囲のいかなる音にも邪魔されず、私は正念でできるだけ周囲の同修者達が何も言わず、厳粛になるようにさせた。当時私はこの正念が効いているのを実感じた。私は自分の心性はいろんな方面であまり高くないとは知っているが、この正念が効いたのは宇宙の法に符合するからだ。  

私ははっきり感じた:もし私達弟子全員が同じ正念で歩けば、周囲のすべてをしんと静まりかえさせられ、人々は静かに立ち止まって、大法弟子の邪悪の暴露と、大法のこれ以上ない厳かで神聖な展示を眺めるだろう。

進行中、私は出来るだけ自分の思想中の業力と邪魔を取り除き、しかも何回も正念を発して邪悪を取り除いたが、ふだんより効果が良かった。しかし終点に着こうとする時、頭の中にいつものように“いよいよ到着した”という思いが浮き出した。今回はそれをはっきり捕まえ取り除いた。その瞬間思想は昇華され、ワシントン一周を歩けるように感じた。更にずっと歩き続け、自分の生命で法が人間を正すときが来るまで歩けるように感じた。