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覃永潔:ある堅く修煉する法輪大法の信仰者が九死に一生を得た道程
【明慧ネット】覃永潔が労働改造農場で烙刑を受けて五十数日経過した後に撮影された写真を見たとき、人々は依然として、あのようなむごたらしくて見るに忍びない彼が受けた酷刑と拷問、そして同時に彼が身体に重傷を負いながらも奇跡的にアメリカに到達したことに対して驚きを隠せない。

人はどのようにしてこのような残酷な虐待を受けることができるだろうか。烙刑の極度の苦痛で彼が失禁し、身体を自律できていない時に、何が彼の不屈の精神を支えたのであろうか。私たちは彼に当時の考えを尋ねたところ、彼は言った。「法輪大法は正法修煉です。法輪大法を信じることに間違いはありません。これらの悪人の迫害を受けたからといって、自分の信仰を放棄することができるでしょうか。」警察官や強制労働所の看守が彼をひどく傷めつけ、彼に法輪功の修煉をあきらめる旨の後悔書を書くよう強要するとき、彼はいつも拒絶し答えなかった。彼は、「答えるときには書かないと言い、答えたくないときはずっと沈黙を守っていた。」と言った。彼が法輪大法を堅く信じるが故に彼に与えられた超常的な意志によって、彼は苦痛によって自律できない状況のもとでも決して屈服しなかったのである。

後になって看守が安心して彼を果樹園に行かせたのは、彼の両方の足が烙の重傷を受けており、歩くのも困難であるからであり、覃永潔自身も逃げらると思っていなかったからである。彼は、「農場はとても大きく、たしかに逃走するのはとても難しかったが、自分でもどこから来たのかがわからないこのような大きな勇気で、二日目(6月3日)の夜に逃走しました。その時は歩くのがとても困難で、木の棒を杖にしてびっこを引きながら農場を離れました。一晩に2キロも歩くことができず、昼間は追っ手を心配して草むらの中で身を横たえ、ねずみがかじりとったサトウキビを食べ、夜が来たらまた歩きました。このように過ごして迎えた6月5日の朝、農業用トラクターに乗ってあの地獄の様な場所から離れることができました。」と言った。

その後、彼は昼間は荒廃した建築現場に身を隠し、チャンスを捕らえて輸送車で香港に到達したが、彼は体中に重傷を追っているので、香港も長く留まれる場所ではないと知り、香港の埠頭に来て、船に乗って中国を離れることができさえすればそれでよいと考えた。さもなければまた捕まって連れ帰られるからである。彼は数回の拒絶に遭った後、許可をもらうことができないことを知り、水が入ったビニル袋を背負い、チャンスを伺ってコンテナ船に乗り込んだ。海上で二週間漂泊したため彼の命はさらに危険な状態に陥った。

人に見つからないように、彼はコンテナが収められている貨物室にいたが、中は真っ暗で空気は汚染し蒸し暑く、海の波が船を左右前後上下と揺らすため、彼はずっと揺れ動く中にいて、大脳も長時間昏睡状態となり、さらにコンテナが揺れることによって生じる、耳に突き刺さるような金属の摩擦音で、彼の精神は大きな刺激を受け、さらに十数カ所のひどい烙印の傷のつらい刺激を受けなければならなかった。彼は「もし法輪大法を修煉していなければ、自分が無事に過ごせることなど想像さえしなかったことでしょう。船にいた数日間は煉功できなかったので、できる限り煉功時の静かな心を持ち続け、「転法輪」の中の段落を思い出していました。」と言った。

船上の最後の数日間、彼はさらに厳しい試練に直面した。というのも持ってきた食料品と水がもうすぐなくなるので、彼はただ毎日少しずつ口にすることしかできなかった。このようにしても最後の一日には水が一滴も飲めず、心身は極度の憔悴感におそわれた。彼が我慢できなくなった時に船が止まった。必死になって歩いて岸にたどり着いた時、長期間暗い所にいたため両眼は太陽の光でまぶしく、昏倒しそうになった。この後数日で彼の乾ききって傷がついた唇から二層の皮がはがれ落ち、私たちがヒューストン公園広場病院で彼を見た時、巨大な心身への刺激が彼の記憶力を激しく低下させ、最近になってようやく少しずつ快復してきた。

病院にいる間、私たちは数回彼を見舞いに訪れたが、彼は法輪功学習者といっしょにいてとても嬉しがっていた。彼は柔和で穏やかで、心がとても広いので、他の人が彼にどのように接しても、彼は人に対して優しく思いやりがある。自分自身の傷の痛みと生死に関わる魔難に対しては淡々とし、物質利益には淡々と求めることがない。彼の人柄はヒューストンの警察や病院の職員、慈善事業を行っている人々や社会の人々、さらにその地域の法輪功学習者などの各界の人々に対してとても深い印象を残した。

 覃永潔の九死に一生を得た奇跡の経験と淡々として仁に厚い人柄から、人々は法輪大法が一人の修煉者の身体に現わした真・善・忍の精神と非凡な意志を見いだし、彼を知るたくさんの人は単に同情心から彼を助けようとするだけではなく、むしろ一人の法輪大法学習者が顕わす精神と魅力によって引きつけられているのである。まさに無数の大法学習者が邪悪勢力による残酷な迫害、悪意に満ちた誹謗や一般の人の誤解に遭っても顕わす慈悲深く寛容な心と公明正大な気概が、一切の邪悪、不正、腐敗、変異な物事や概念を余すところなく暴露し、同時に世の中の人々の法輪大法と大法の学習者に対する尊敬と感服と理解と支持を勝ち取るのである。