日本明慧 |
善良な人々は自分の人生の道を慎重に歩んでください |
これは私の修煉上の思い出です。私がそれを書き出す目的は、まだ良知のある人々に邪悪の法輪功に対する迫害の事実の前で、自分の未来を慎重に選んでほしいということにあります。
2000年の年初めのある日、命を下さった法輪大法と慈悲なる師父の潔白を戻すため私は天安門に行くと決意しました。家を出ようとしたところで、無意識に振り返った時、私の目に映ったのは毎日必ず読む「転法輪」でした。以前には法があるからこそ私が存在しており、今日から私の命を下さったこの法を手放してはならず、大法弟子はどこまで行っても法を勉強しなくてはならないと意識して、部屋に戻って「転法輪」を懐にしまってから出発しました。その後私は捕まって天安門の分署に押し込まれました。分署に入った途端、「7.20からもう半年が経ったが、本当のことを言うと法輪功が一体良いものであるか良くないものであるか」と警察に質問しました。この警察はため息を一つついて「個人的に話すのなら、私の本当の考えを教えるけど、でも今は・・・」と言いながら自分の制服を指していました。その後我々を鉄の籠に入れるため、身体検査をしました。先ほど私と話した警察が「何か持っているか」と私に聞きました。「はい」と言う私の答えを聞いた後、厳粛な顔をしながら「何ですか」とまた聞きました。「本です」と私は答えました。「転法輪でしょう」と彼が言ったので、「そうです」と答えました。彼は私を見ながらしばらく黙っていました。同時に私も彼を見ていました。当時私の心は静止した水のように静かであり、心の底から微笑が表れていました。しばらくすると、彼は「気をつけて、他人に見られないように、見られたら奪われるから」と言いました。かくして、私は「転法輪」を牢屋に持ち込みました。同じ牢屋に監禁された数名の同修が牢屋で法を勉強できると大変喜んでいました。四日後一人の同修が二年間の懲役を言い渡され、行く前に「本を持っていたら」と言う他の同修の勧めを聞いて、「もらってもいいのですか」と私に聞きました。「もちろん、もしあなたが本気で持っていきたいならば」という私の答えを聞いて、「私は自分の命で法を守る」と確固不動の顔しながら言いました。私はあの警察がこの本を奪わなかったことに対して嬉しく思っていました。なぜなら彼自身が人間性の善悪の争いの中で,結局善を選んだからです。今後大法弟子が残酷に拷問されているのを見て、もう無感覚ではいられないでしょう。 大法弟子を拷問して虐殺した可哀想な人々の中で、多くの人が大法の良さと大法と師父の潔白をよく知っています。しかし、自分の利欲のため、自らの魂を裏切った人達は、平然と自分の良心に直視することができるでしょうか。殺人が許せない罪であるとよく知っているにもかかわらず、独断専行し、あなた達を待っているのが何かを考えたことがあるのでしょうか。江沢民の悪党政治集団の結末がどうなるかを考えたことがあるのでしょうか。江XXが「殴れ」と言ったら、あなた達は殴り、江XXが「殺せ」といったら、あなた達は殺します。しかし、善には善の報いがあり、悪には悪の報いがあるというのは、太古の昔からの永久な法理であり、悪事を働く人は必ず自ら償わなければならず、江XXがあなた達の変わりに命を償還することができるのでしょうか。江XXが犯した罪は天地さえも許せないものであり、彼を待っているのは永久に止まることのない鋳つぶしのなかで犯した罪を償還することです。 まだ良心のある方よ、今後の道を是非慎重に歩んでください。 |