日本明慧
すべての法粒子は皆得難く貴い
ワシントンDCの法会の後、師父の説法を繰り返し学習して、7月30日明慧文章に更新された“同修へ”の中で、新たに表出した問題について語り、読後の些細な悟りを皆さんと共に参酌(さんしゃく)したいと思います。

説法中”本来ならば私は最低5千万人を予定しましたが・・・・・・・今は足りません”と師父は圓満人数の問題について語りましたが、師父は、元々基準まで達しているはずなのに、でもそれに至らない弟子達に対してひどく惜しんでいる事を深く感じました。尊師の按排は必ずそれなりに私たち衆生が探り知る事のできない奥深い道理があり、新しい全宇宙大穹はその中に数え切れない無数の生命を創り出し、そしてあらゆる生命の未来はそれぞれ法の粒子が成熟しているかによって決められた。師父は私たちを大法の一粒子と称し、この呼び名に対して言い切れない程の殊勝、荘厳、法粒子たちこそがその境界の体現、標準、化身、自分の正悟している法理を用いて、自分の所在する境界以下の無数生命を判断、管理し、全体系の上から下まで一つの法粒子は皆重要であり、粒子ごとが金鋼不破でなければなりませんが、全て新しい宇宙大穹こそが円満不破になる事ができます。

2001年カナダの法会上では、法を正す事は二段階分けているとおっしゃいました:“第一歩は正法の中で大法弟子を確立し”、またDC法会では“なぜならば、皆さんの円満成就は主要なことであり、現在の皆さんにとっては円満成就こそが何より重要なことだからです”、同時に“君主が替わると臣下も替わる”と言う法理を語られました。大法粒子はこの上なく非常に貴重であることを以上の法理から理解することができ、正法修煉の過程の中で、 “全面的に真相を伝え、正念で邪悪を根絶させ、衆生を済度して、堅く法を守る”正法修煉過程の中で、どのように学習を互いに較べ、共に精進できるのかも私たちが悟り開かなければなりません。

DCの法会上で師父は、“大法学習者は皆異なる宇宙体系から来ました。”とおっしゃいましたが、考えてみれば一つの宇宙体系はどれほどの生命があるのでしょうか。成熟した一つの法粒子は、未来の多くの生命に責任を負わなければなりません。要するにもし法粒子が熟したら、済度できる生命は将に無数であるでしょう。ここで思いついた事は、最近私たちは正法活動に参加している一つ一つの状況において、修煉環境の中で起きた出来事を疎かにしてはならないという事です。時々皆さんは真相を伝えるために忙しくなって、同修の間の交流が減って、互いに較べる雰囲気が段々と少なくなって、相手が明らかに誤っても気にもせず、これは全正法の過程で責任を持つ表現だと言えるでしょうか?

大法は法粒子に対しての要求が非常に高いと理解して、あらゆる面で私たちにベストを尽くさなければならないよう求め、最も困難な時、一番緊張な環境の中にいる時こそ、私たちの一念が法の上に立っていられるかの試練です。自分のベストで法を守り、同修への関心を持たずにして、法粒子は果たして漏れてないと言えるでしょうか?

だから、真相を伝える過程の中に、同修の事を忘れないように法の交流について更に強め、互いに悟りを開き、そして一粒子ごと正法参与に対して本当の意味を知ったうえで、常に法の進み具合に付いてこられ、本当の正法修煉の道はさらに穏やかで清く正しくなる。

ただ個人の体悟ですので、不当なところはどうぞご慈悲指導をお願いします。