日本明慧 |
法を正す過程のすべてに対し、一様な神聖的な心で扱い、参加する |
2001年8月25日 文 : 大陸大法弟子
【明慧网】私は、正見ネットで8月25日に発表された〈一瞬で旧観念を打破する〈両言三言〉—DC大使館前での大法弟子の断食抗議について〉を読み、この文章が示す(少数の弟子たちの無期限の断食)と、(法が人間を正す形式をもっているということ)が、強いつながりをもつということに、少し納得がいかないと思いました。この文を書くことで、皆さんと共に考え検討したいと思います。どうか、ご指摘ください。 まず、私は「生死の念を捨て、断食を行いに出てきた弟子たちは人の同修たちを全員、無条件的に釈放するまで無期限の断食をします」という意見に対して、異なる見方を持っているので、ここで私の意見を述べ、皆さんと考えを深めていければと思います。 "全面的に真相を伝え、正念で邪悪を根絶し、衆生を救い済度し、確固として法を守らなければなりません。"(《大法は堅固で粉砕されることなし》)ということは現在の世界において国内外の弟子たちが果たさなければならない偉大な使命と責任です。 "理性をもって大法を証明し、知恵をもって真相を教え、慈悲をもって法を広げ、人々を救い、済度します。"〈《理性》〉 宇宙の中で法を正すことに妨害する旧勢力、および彼らに利用された江沢民などの邪悪集団は、すでに最後の整理の段階にあります。ですから、積極的に正面から世の人に真相を伝えるという目的を重んじ、そうでなければ、海外弟子は無期限の断食という極端な方式を採用できないと思います。リレー断食、リレー歩行などの形を除きます。なぜならば、それは人の心を震撼できるうえ、大法弟子一人一人としての力を十分に発揮でき、自己を制限しないからです。 "表に出て様々な形で大法を証明することは偉大ですが、それはすなわち邪悪の勢力に捕まえられてしまうことではありません。そうだとすれば、上申しに行く学習者はどうして罪がないのに逮捕、拘束、強制労働、懲役された学習者の釈放を求めているのでしょうか。捕まえられるのは目的ではありません。大法を証明することは正真正銘の偉大であり、大法を証明するために表に出てきたわけですので、表に出て来たら、大法を証明する目的を果たさなければなりません。"(《理性》) 発正念、中国領事館前での座り込み、期限ある断食と座り込み、各種の機会を利用した真相資料配り、SOS緊急救援歩行、積極的に各レベルの政府、機構、団体、民衆、マスコミに真相を伝える等等のことを通して、大法弟子が各環境において大法粒子の役割を十分に果たすことは表明できます。"社会で接触する全ての人は皆私たちが真相を伝える対象なのです。真相を伝えることから現れたのは大法弟子の慈悲と世人を救い済度することです。"(《北ヨーロッパ法会の皆さんへ》) 私の個人的な理解として、世の人が真相を知り、そして社会全体がすべて真相を知ることによって、皆自発的に邪悪の旧勢力に按配されたことに反対する時、邪悪は自ら消滅します。ですから、真相を伝えることは簡単なことではありません。法のために短期的な個人の極端行為に留まることなく、本当に深く、全面的に三界における邪悪の旧勢力が正法を妨害する間隔を打破し、正法の勢いがまだ到達していない空間における邪悪勢力を取り除くことは、国内外の大法弟子たちが現在一層緻密的に掘り下げてやるべきことです。 "まだ現在も邪悪が悪事を働きつづけている所もあり、これは法を正すという洪大で激しい変化の勢いが及んでいない所です。このような所こそ大法弟子が正念をもって力を発揮する所なのですが、そこの情況はまた非常に複雑で腐敗堕落したものです。"(《正念の作用》) 法を正す形のすべて、正法の広大な勢いが一掃するときの壮観と素晴らしさのすべては師父によって創立され、この偉大な佛法に造られることです。誰かの個人行為で創立できるものではありません。われわれの常人の心を捨て、法を正す過程のすべてに対して、一様に神聖な心で扱い、参与しましょう。 |