やはり人々は法を得ることを待っている
2001年12月30日 筱芸
【明慧ネット】自分の車で、街の中を通るときは、急がずにのんびりと走るようにしています。信号待ちをしているときには、隣の車にも先生の講法が聞こえることでしょうし、「普度」と「済世」の音楽も街の喧噪の中へ流れていき、もしかすると道行く人も聞き耳を立てているかも知れません。
わたしの車は故障も運転中のトラブルもほとんどありませんが、主人は気にかけて、しばしば点検をします。ウォッシャー液が無くなったとか、オイルが減ったとか、冷却水が足りない等に気が付きます。主人が点検すると何らかの問題が見つかりますが、なぜ、こんなに多くの問題があっても、わたしが平然として運転ができるのかと、不思議に思っているようです。もちろん、主人にメンテナンスを怠っていることを咎めされたことがあります。わたしは、李 洪志先生が何らかの手助けをしてくださっていると感じ、自分の不注意な点を後ろめたく感じました。
ある日、ブレーキ系統が故障したため販売店へ行きましたが、サービスの担当には会えませんでした。いくつかの整備工場を回り、やっと小さな整備工場にたどり着きました。そこの担当の若い整備士は、問題の箇所を示し、一つの部品を交換したら、すぐに直りますと自信ありげに言いました。店長は違う見解をもっていましたが、整備士は納得していないようでした。その時、わたしはその整備士を気短で傲慢な人だと思ってしまいました。数回の調整を受けましたが、実際に運転してみると、あまり良くなっていないと感じました。彼は、明日もう一つの部品を交換しますと見方を変えました。翌日、その整備士の対応は全く変わり、真剣に各システムを点検し、いくつかの部品を交換しましたが、まだ完全に直りませんでした。わたしは、「互いによく知るようになったし、彼に法を伝えてみようかな」と思い始めました。その時、怒りも感じず、文句を言う気持ちもなく、かえって、法を広げるチャンスがあったことに喜びを感じ、温和で善良な心をもって話しました。
この若い整備士はわたしが法輪功学習者であると聞いたら、「なるほど…」と答えました。「なぜ?」と尋ねると、彼は他の法門で何年間も修煉したため、わたしに非凡なエネルギーを感じたと言いました。先生のおっしゃった「修煉者の身体はエネルギーを持っています。今ここにいる八割、九割の人は講習会から帰りますと、病気が治るばかりでなく、功も持つようになります。ですから、皆さんの身体に強いエネルギーを持つようになるのです。」ということを証明したようです。そして、この整備士は真剣にわたしの話を聞きました。この出来事は店長や他の人たちの好奇心を呼び、わたしの話していることを聞きにきました。やはり、人々はみな法を待っているということがよく分かりました。
三回目は店長がわたしを招き、しばしば修煉に関する質問を受けました。ゆっくりと彼の質問に答えながら、わたしは法を伝えに来たのであり、修理のことは彼らに任せようと思いました。
先生は『ワシントンDC国際交流会での説法』で、「人間は意味もなくこの世に来たのではありません。」また、「実は人々がみな法を待っています。」と申されました。
そこで、幸運にも法を得た大法学習者は積極的にチャンスを利用して、他の人が法を得ることに対し、もっと努力しなければならないと思います。それは学習者が当然果たすべき責任ではないかと思います。
以上が自分の悟ったところであり、不適切な点は、学習者の皆様どうぞご指摘のほどお願い致します。
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