日本明慧

大法のために唄う,自分の才能で大法を証明する

全ての学習者のように、私は修煉の道においてつまずいたり倒れたりの、試練や苦難に出会った。業力除去や心性向上の様々なテストを経てきた。一つの関門からもう一つへと、全ての障害は突破されなければならない。苦難に出会うといつも私は法の勉強をし、内面を見るようにし、法を正す過程に従うようにする。過去数年私はその様に進んできた。

師父は言った、「非常に多くの弟子が非常に高い学歴を持っており、海外の弟子にあっては高学歴の人が絶対多数を占めています。なぜでしょうか。この肝要な時期に常人の中で身につけた知識を十分発揮させ、大法が昔世の人々のために造成した常人の技能を利用して法を証明させるためです。」(ワシントンDC国際交流会での説法) 法を正す過程は大法の威徳を表わすために唄う、私の能力を利用できる段階にまで到達した。

私は十年以上も前に舞台で唄うのを止め、それ以来唄う練習をしていなかった。このような状況では声帯の力を取り戻すのに、非常にゆっくりとした経過をたどることは、皆が知るところである。私はそのような見解に捕らえられていた。声帯が速やかに回復できず、唄っている途中で声が割れるのを心配した。又私の声が良くなく、他の歌手たちが笑い、長年常人の間で努力して築き上げた評判が、台無しになるのを心配した。あらゆる恐れや執着が姿を表わした。そのような心の状態は、もう単に歌うことの問題ではなくなっていた。これは突破しなければならない関門であることに、私は気づいた。どうやって乗り越えるか。たった一つの方法は、心を平和に保ち、法の勉強をすることであった。師父は言った、「法は全ての執着、全ての邪悪、全ての虚言を破ることができ、法は正念を固めることができます。」(「妨害を排除せよ」精進要旨)

大法は超常的である。私は修煉者である。どうやってこれら人間の見解が私を束縛することができるのか。師父は言った、「人類社会の中の有名人、学者、各種の専門家について、人々が非常に偉大と思っていても、その実彼らは常人ですから、いずれもとても取るに足らないものにしか過ぎません。」(「智とは何か」精進要旨) 大法弟子として、大法の歌を唄うという偉大な幸運は歴史によって私に与えられた使命である。そしてそれは法を正す過程における大法粒子としての、私の本当の役割である。私の歌手としての人生は宇宙の大法のために唄うのが目的だったのだということを悟り、大法のために唄うことこそが私の修煉の道であり、法を正すための道であることを悟った。これを理解するに到って、私は突然目覚めた。

すると奇跡が起きた。たった二日間で私の声帯は回復し、私は録音のために唄いだした。唄っている時私は他の境界に入った。その境界の中では唄っている感覚がなかった。その代わりに私は正念と信念をつかって、大法の偉大さ、師父の慈悲、弟子の感恩、そして法を正す道の困難を天地に向かい表現していた。唄を聞くことのできる全ての生命に向い、人間の身体を得、佛法を聞き、師父から限りない加護を受けるのは、まれなる機会であることを述べていた。このまれなる機会を大切にしましょう。この機縁を決して再び見逃すことがありませんように。それはとても神聖で、厳粛で、偉大です。

私はそのような状態で録音された自分の声に仰天した。私は自分の声の中に一種の磁性と浸透力を持つ、一種の金属的響きを聞いた。これは私の多年に渡る舞台でのパーフォーマンスで決して経験しなかった現象である。これは法の威力、師父の加持、佛法神通力の、私の身体を通しての現れであることを私は知っている。

実際師父は様々なことをやってくれている。「修は己にありて、功は師にあり」(転法輪第一講) 法を正す時期に私たちが本当に法に溶け込むことができる限り、正しい信念と悟と洞察力を持ち不動である限り、様々な奇跡が起きることがある。本当に大法の威力と超常的状態を経験することができる。私たちの責任は、歌手として、ダンサーとして、作曲家としての職業への執着を放下することである。様々な肩書を、職業に付随する多種の執着と共に放下するべきである。

法を正すことの速やかな経過と共に、大法歌曲が広まっている。益々多くの学習者が詩を書いたり、作曲をしている。歌や曲の種類は常に増えている。そして私が唄う歌は益々増えている。私にとって唄うこと自体が修煉の方法であり、向上する方法であり、本来の最高の位置まで上昇する方法である。私は正念と、静止している水のような心をもって、全く自然に唄うのが好きだ。この心の状態は、高い山の頂きで、白い雲と、自由に舞い上がる不純な考えを持たぬ、全く清く自由な鶴たちの間に住む修煉者のようだ。私の歌声の粒子が細かくなる程、そしてエネルギーの量がより大きい程、浸透力が強くなるように感じる。このようにして唄われた一つ一つの言葉、そして一つ一つの音符は、大法を損なう邪悪な要素を瞬時にして根絶することができる。歌声は力と正義と正念で満たされている。それは遠い遠い処まで浸透する力がある。

以上は私のレベルにおける修煉経験と理解である。もしも間違いがあるならどうか指摘して戴きたい。

2002年1月16日