日本明慧

正念を発する二つの体験

2002年1月19日 文/大陸大法粒子
【明慧ネット】
1.心を純粋にして正念を発すると威力が大きい
つい最近、学校は上からの指示を受け、私達の学年の学生を組織して、共産党市の委員会の宣伝部、市の文化(教養)局共催の、大規模な絵・写真の展示会を見学させました。展示会では科学の看板を掲げて、真善忍の大法を中傷するものであります(これは科学が発達し、信仰の自由がある西側諸国では全く想像できないです)。学生の人数が多いため、2陣に分けて行かなければなりません。このニュースを聞いて、私は最初特にたまらなく感じ、涙がじわじわと湧いてきました。師父よ、こんなに多くの罪のない生命が、間もなく邪悪な教育を受けさせられる為に連れて行かれようとしています。私はどうすべきでしょうか?正念を発し、先生に加持してもらおう。“停電させる、あるいは何らかの方法で、彼らが見ることができないようにさせて、毒されないようにしよう。”心の中でこのように考えていていたところ、第1陣の学生はすでに出発しました。私は直ちに法を正す口訣を黙読して、心理状態はすごく純粋で、なんの雑念もありませんでした。奇跡は現れました、キャンパスを出て行った生徒達はまだ目的地に着いていないのに帰ってきました。隊を率いた責任者は続けて“見にいかない、残りの1陣も行かない、何も見えないから、中は真っ黒だ。”と言いました。私は先生の偉大なご慈悲、および“大法弟子の正念は威力あるものである”ということを深く体得しました。

どうしてある時には威力が現れることができないかと連想すると、もとは、威力の大きさが正念を発する時の心の純粋の程度にかかっている。同時に、私達は佛家法門を修煉しているため、慈悲の力が大きい。もちろんその他の要素もある……

最近、父と母は縁で法を得ました。先生の説法のカッセトテープを両親に聞かせようと送りました。ある日、私は両親の家に行くと、両親はテープを聞きたいのだが、テープ・レコーダーから音が出ません。両親は“このテープ・レコーダーはどうしたのか分からないが、ずっと聞くことができない。”といいます、私は“これはあなた達が法を得るのを邪魔しているので、それを気にする必要はありません。大法を修煉する心が動かなければ、誰もあなたを動かすことが出来ません。それはどんな能力を持っているか、私を見てみて。”と言いながら、ボタンを押すと、先生の声が伝わってきました……。父は“不思議だな、私が使うときにはできなくて、あなたが使うときにはなぜよくなったの?”と言いました。私は笑って、“あなたが修煉し続けさえすれば、何も思わず、それらもやはりあなたを恐れるでしょう。”と言いました。

2、心が落ち着いていれば正念を発する時には威力が大きい
2002年の元旦の前夜、私達三人の法輪功学習者は一緒に横断幕を掛けに行きました。私達は横断幕の両側に竹の編み棒を通して、一方には小石(布で包んでいる)を縛りつけました。邪悪の人が横断幕を取りにくくするために、私達はできるだけ高いところへ投げたいと思っていました、しかしできるかぎりの力を尽くしても、掛けた数は多くありませんでした。しかもタクシー、通行人が絶え間せん。それで私達三人は心を落ち着かせ、もう一度正念を発しました。再びやってみると、情況が異なってきました。ほとんど成功し、無人地区に入ったかのように、団地から道路まで、タクシーもなくなって、通行人もいなくて、まさに私達の天下になりました……明るい夜空を眺めて、足もとには積雪を踏んではいるが、寒さは私達を離れて遠く去り、足取りはこんなにも楽だ……、帰り道で、私達三人は反省しました、事前に正念を発していなかったことは、やはり心の不安定がもたらしたためでありました。正念を発している時も常人の心があり、口の中で一回一回口訣を読み上げても、一心に読み上げず、“身と心が一体となる”になっていない。先生の教え:“口では一回一回念じていますが、心の中では雑念ばかりです。”(《転法輪》)と全く一緒です。また、人に見られるのを恐れ、やり終えるのを焦って、このような心を持っていては、正念を発する時にどうして威力があるだろうか?一人の修煉者として、人間のすべての心を取り除くべきです。一人の大法弟子として、法の中へ自らを融けこませることができなければ、その“ちょっとした考え”をとらえにくくなります。その“ちょっとした考え”は、すなわち人間と神との区別です!人間は神の威力とどうして同じでしょうか?その“ちょっとした考え”をよくとらえたいならば、ただ法をたくさん学んで、一心に学んで、一心に行い、執着心がなければようやく何も残らなくなります。

以上は個人の心得であるから、ほかの修煉者と互いに励まし合うことを望みます。