日本明慧

観念の障害、旧勢力の邪魔を突破して、待たない、頼らない


文/止水

【明慧ネット】大法弟子が法を実証し衆生を救う誓約を履行している中、皆一人一人は自分の全ての可能性を尽くして、また、自分たちの持っている特技を用いて大法のために多くのことをしてきました。皆にそのことができたのは、難しさを突破するための持ちこたえる決心、衆生を救い済度する慈悲の心と師父を助け、法を正すことに対する確固不動の心、そして使命感を持っているからです。

正法の進展のスピードが速まったにつれて、より多くの、以前に邪悪な虚言に騙された世の人々がだんだん事実を認識して来、滅亡される可能性から逃れることができました。実は、その中に、師父が法を正しているという要因があります、また各層の衆生や衆神が正法に参与している要因もあるし、大法弟子が人間社会で人間社会の理屈で正法を行っていることによって世の人々はだんだんと真相を知り、私たちに理解とサポートを示してくれたというところもあります。常人は私たちが渡した一枚のチラシをもらって、あるいは真相についての話しを聞いてから救われるようになれます。それは人間社会の理に適ったからです。

だから、この得るのに難しかった環境は私たちが修煉者としての慈悲の心によって、または、私たちの手で創られたのです。その環境は、常人のなかで、困難が破られ、問題が解決され、世の人々が救われるようになったときに現れるのです。しかしながら、時々、ある学習者たちはいつも「私はこれが分からないから、できない」という観念を持っていて、それに阻まれています。そのために多くの、やればできるはずの事がいい加減に済まされました。もし、皆がこのように同じことを考えればどうなるでしょう。しかし、もし、逆に皆が積極的にやることを見つけてそれをすれば、あるいは、積極的に真相を伝えるために使う知識や技術を習いに行けば、またどうなるでしょうか。実は、多くの学習者たちは大法に関連する仕事をやり始めた頃、何もわからなかったのです。彼たちはその仕事をしながら、自分で技術、方法を習って捜し求めてきました。それで、だんだん重要な大法の仕事を背負うようになったのです。環境は私たちが創るもので、常人の中の技術や学問も私たちが学んでくるものです。私たちは大法を修煉することによって、さらに高い智慧を得ました。だからこそ、私たちは大法が与えてくれた智恵を生かして大法を実証し、世の人々を済度しなければなりません。

大法のための仕事はいろんなものがあります。しかし、その中に、人に見えなくてしかも言わなくてもわかる仕事があります。でも、ある学習者は「私はできないから」、また、他の誰かがその仕事をやるべきだという理由で、何もしないのです。もちろん、このような学習者は他の面で一生懸命に法を実証していますが、ただこの観念は彼あるいは彼女を阻んでいます。法を実証するために仕事をしなければなりません、と私は思います。習えばすぐにできるものです。これは、表面上その観念がその学習者を邪魔しているように見えますが、その後ろに複雑な原因があるかもしれません。たとえば、このような大法と大法弟子を検証し試練を加える観念の障害は実に、正法を阻んでいる旧勢力からの直接な邪魔によって生じた結果であることを私たちはよく忘れます。私たちは正念が強く、修煉者としての心で折よくお互いに注意すればこそ、そのような観念を取り除くことができると思います。

私は同修がその問題に注意を払うべきだと思って書きました。