日本明慧 |
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恐怖心への執着を保護するために正念を発してはいけない |
2002年4月15日 【明慧ネット】フロリダ交流会における説法の中で、師父は正念を発することの重要性を強調する。しかし一部の修煉者は正念を発する時に、不純な念を懐いている。一度心の動揺を感じると、緊張した表情をし、不安になる。この人は絶え間なく口訣を念じ、自己防衛にそれを利用する。これは恐怖心と自分を保護したい欲望への執着に駆り立てられているのではないだろうか。これは取除く必要のある執着心ではないだろうか。どんなことに面しても、私達はそういうものに動かされるべきではなく、法を正すことにおいて師父を助けるために、正念を発するのである。 もしも恐怖心への執着があるなら、強力な正念を発する前にそれをまず除去すべきである。一部の修煉者はいつも自分の周りの邪悪を根絶することを強調する。始めの頃私もそのような恐れに対する執着があり、自分の周りの邪悪だけを除去した。後になって、私はあることに気付いた。利己主義と恐怖心への執着をもって正念を発することが、どうして可能だろうか。師父はカナダ交流会での説法の中で言った。「もちろん邪悪を根絶する時に注意しなければならないのは、顕示心、常人の恐怖心、或いは不純な念を抱いていれば目的を達成することができません。どうして皆さんにこのような能力があるのでしょうか。一人の偉大な修煉者だからこそ、このような能力があるのです。ですからこの念を発する時、偉大な修煉者が発した念でなければいけません。」 だから邪悪を根絶するとき、重要なのは自分の心のもち用であると思う。もしも法を正すことにおいて師父を助けたいという心をもつなら、発する正念は強力となるだろう。恐怖心や利己主義への執着があるなら、力がないだろう。 私は自分の執着を曝し、修煉者仲間にも注意を与えるために、この文章を書いている。そうすることによって、私達は共に執着を除去し、より良く正念を発することができる。もしも誤りがあれば、指摘して戴きたい。 |