日本明慧

チュニス正法記

2002年4月23日.文/ドイツ学習者
【明慧ネット】江沢民がドイツを離れた後、私と一人のアメリカ学習者は江沢民の今回訪問の第三番目の国であるチュニスへ行くことに決めた。通常4週間かかるチュニスビザを私達は記者の身分で1日で手に入れた。翌日の午前、私達は江沢民より何時間か先にチュニスに着いた。江沢民が着いた時、本来典型的な地中海のきらきら輝く太陽の光は一瞬の間に空がかき曇り、土砂降りの雨が降り出した。

江政府が彼らの一貫して使用するやりくちでチュニス政府に圧力を加えたため、私達のチュニスでの記者証の申請は許可されなかった。これはチュニスの政府官員が私達に直接言ったことである。その後中国大使館の官員はアメリカ同修の前で口を滑らしそんなことはないと否認したが、実は彼ら自身の心の中は道理に背いていることであると分かっている。

江沢民のチュニス行はドイツ行と多くの所が似ていた。警察の一級警戒、行先スケジュールは秘密にされ、記者会見無く、毎回江沢民が現れる時、記者は何分間の写真を撮る時間しかない。

チュニスの官方言葉はアラビア語とフランス語である。しかし私達は英語とドイツ語しかできない。チュニス人の絶対多数は英語ができない。ドイツ語はもっと分からない。江沢民が訪問中の二日間、私達はあらゆる方法で英語と現時点で学んだいくつかのフランス語を使って消息を調べ出し、中国体表団と何回も正面、側面的な付き合いをした。

中国体表団は私達がチュニスに来たことを知ってチュニス政府にデマを飛ばし、法輪功をXXだと中傷した。チュニス警察は大敵に向かうように私達を警察局に連れて行って法輪功は何かと仔細に追求した。私達は彼達に真相を説明し、資料を見せ、功法を演示した。好奇心があったせいか警察局の十何名の警察は次々と私達の所にやって来た。私達は一人一人にフランス語のチラシをあげた。一人の英語ができる警察は私達と一時間あまり話しして、真相の光ディスクを見た後こう言った:「私は今分かったよ。法輪功は良い!」彼ともう一人のずっと中国文化に興味を持っていた警察はその場で真面目に私達について功を学び始めた。また他の警察と内政部に対し法輪功は何かについて解釈した。彼はまた私達にこう話した:「あなた達の使命は完成しました。現在チュニス政府から警察に至るまで既に中国の人権問題を知っています」

チュニス人は普遍的に中国の法輪功に対する迫害を聞いたことがない。アメリカ同修は「I support Falun Dafa」(私は法輪功を支持します)と書いたバッジを付けて街を歩いた。何回もチュニス人から主動的に「法輪大法は何か」と聞かれた。私達が彼達に写真を見せると彼らは皆大いに驚愕した。一人の医学院の大学生は主動的に署名表を求めて彼の友達達にも迫害に反対するサインをお願いしようとした。書店で働く女の子はまだ真相チラシはないかと聞き、私達を手伝って彼女の顧客と友人達に配ろうとした。彼女のお父さんは迫害を聞いて直ちにこれは独裁統治の結果だと言った。

チュニス行で私達はチュニス人の善心を見た。同時に大法弟子として心の中ではっきり分かっている。私達の執着と肝心な時に正念が足りなかったせいで、私達は何回も邪悪を震え上がらせる機会を失った。本来私はチュニスでの経歴を書くつもりが無かったが、しかし書きたくないとしているのも一種の執着であることを意識した。私達は直接邪悪に面することはできなかったが、しかし我々の存在そのものが邪悪に対しての震え上がらせることであると、私は認識した。私達は江沢民が国会に講演に行く一時間前に、彼の講演する大庁の隣の部屋に三十分間逗留し、邪悪の消息が厳しく封鎖された状況のもとで江沢民が止まった旅館に行き、その付近で正念を発した。我々に出会ったあらゆる人に真相を説明した、チュニスの警察は真相を知った後法輪功は良いと言っており、善良なチュニス人は法輪功を助けようとしている。これら全ては邪悪に対しての強い撃砕である。

ビザの問題で私達は江沢民の次の行き先—イランに行くことができなかった。その為江沢民が去った次の日、私達は分かれて中国大使館前で正念を発し、チュニスのマスコミを訪ねた。チュニスにはほとんど中国人がいないが、しかし規模が異常に大きい中国大使館があった。大使館前で私は三十分ごとに正念を発し、一回に二十分発した。始めのころは邪悪場が非常に大きく感じられ、体の状態がすごく悪かったが何時間経ったら直った。当日夜、私は目覚めてかすかに先程の“夢”を覚えた。私の元神は高層空間で一回の激烈な戦いに参加した。後の二日間私と同修は毎日大使館前に行って正念を発した。

チュニスで私はどうも顔に見覚えがある多くの人に出会った。私はこれが我々の縁によるものであると意識した。同時に私は法を正す時期の大法弟子の双肩にかかっている衆生を済度する巨大な責任を感じ取った。江沢民が去った翌日、私が煉功の時一つの声が私に対して言った:「あなたの純正は大窮の成住不破の保障であります!」私の涙はまた湧き出した。大法弟子として、私は絶えず自分を純正にし、次は良く、もっと更に良くできることこそが、師父の慈悲苦度と大法弟子の偉大なる使命に背かないのである。