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吉林省の法輪大法学習者于秋実氏は迫害され死に至った


【明慧ネット】法輪大法の女性学習者于秋実、64歳。2001年12月下旬に法輪功についての真相資料を配っている際、非法に逮捕された。于氏は邪悪に屈せず、11日間絶食した後悪党警察に病院へ送り込まされた。院内で何かの注射をされた後、于氏の腹部が腫れ上がり、収まることなく危篤に陥ってから家族に返された。于氏は70日後の2002年3月16日に自宅で息を引き取った。詳細は以下のようである。

法輪大法の女性学習者于秋実、本名于淑芬、2001年12月21日に鎮賚県で法輪功についての真相資料を配っている時に、隠れていた悪党警察に発見され、地元の拘留所に入れられた。悪党らの威嚇、辱め罵りを受けても真相資料の出所については一言も言わず、終始口を堅くしていた。于秋実氏は絶食を持って悪党の迫害に抗議し抵抗した。絶食の8日目に、拘留所の悪党所長が威嚇するように于氏に「ここにあるお粥は食べるのか食べないのか」と怖い口調で問われた。于氏はそれにも負けず堅い意志で「食べない」と断った。がその後、悪党所長は県立病院の医師を呼び、塩水に生の麺を入れて、強引に于秋実氏の鼻や口に注ぎ込んだ。拘留所のある女性管理員が毒々しく「塩水をもっと、塩をもっと、もう食べないとは言わせまい!」と罵った。于秋実氏が無理やりに塩水や麺を注ぎ込まれる間に、片方の鼻に挿入させられている管が抜き取られ、もう片方の鼻からすぐに鼻血が出てきた。このような状態になっても于秋実氏の変わらない堅い意志、純正な心に、逆に悪党らは冷や冷やさせられた。悪党らは慌てて管を抜き、そのまま散って行った。午後、于秋実氏は嘔吐が治まらず、強引に注ぎ込まれたものを全部吐き出した。その晩、于秋実氏は疲れきった体で洗面所に向かった。そして、血便が出たことが分かった。

2002年1月1日、于秋実氏が絶食してから11日目に、拘留所のあくどい所長は仕方なく虚弱となった于秋実氏を県立病院へ送り込んだ。于秋実氏は病院で又強引に注射され、輸血され、その上に悪党らに辱め罵られた。しかし、于秋実氏は終始李先生及び大法を堅く信じ、逆に病院の患者、家族ら、医師、看護婦、そして縁のある管理担当者に大法を広め、自分の体験を話した。于氏は法輪大法学習者が果たすべき義務を果たし、大法の一粒子としての威力と役割を発揮した。

1月4日午後4時頃に于氏は手続きをし、退院した。病院からの医薬費用2200元の請求に対して、于氏は家族に支払わせたくなかったが、家族はやはり支払った。于氏の家族も只の3泊4日で、大した医薬品も使わなかったのに、この高い請求に戸惑ったが、最終的に1700元を支払った。

1月6日、于秋実氏の腹部は痛みを感じながら腫れ始めた。数日も経たない内に、腿、足も腫れ始めた。この間、派出所の悪党警察らは自宅に来て騒がしさが絶えなかった。1月下旬に、鎮賚県政保課の者が課のトップが于氏と話したがっていると装い、于氏は痛みを耐えながら彼らの車に乗せられた。初めは悪党らが長春強制収容所へ送り込もうとしたが、于秋実氏の腹部の腫れがあまりにも酷いので、自宅へ帰した。

帰宅数日後に、悪党警察は何度も何度も嫌がらせに来たが、于秋実氏は応じなかった。その後、于秋実氏は身体の痛みが酷くても友人や親戚の家へ行って、大法を広めることを行った。于秋実氏は呼吸をするのにも極めて困難な状態でも、痛みに耐え、大法を学び続け、煉功をし続け、正念を持ち続け、人々を済度していた。

2002年3月16日、陰暦2月3日、大法学習者于秋実氏は寝床に入った後、この世を去った。