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吉林省の法輪大法学習者于立新氏は迫害され死に至った

 法輪大法学習者于立新氏が死亡した時は36歳だった。生前は吉林省吉林市委員総工業会の幹部で、中国共産党員であり大学生だった。于氏は以前9つもの病気の持ち主で、各地の名医を尋ね、貴重な薬品を飲んでいたが、何の役にも立たなかった。四方八方手を尽くしたあげく、1997年に法輪大法を学び始めた。数ヵ月後、彼女が9つの持病は奇跡的に全て治った。修煉期間中、彼女は李先生の教えに従い、普通の良い人よりもっと良い人になるように、会社では良い幹部であり、家庭では良い妻であるようにした。又、修煉する前までは殆ど付き合いのなかった姑を自宅に迎えた。姑も彼女のことを“世界で一番良い人”だと自慢した。又、会社でも労苦を厭わず非難を意としない姿勢は、数年間連続で最も積極的な従業員として評価された優秀な共産党員だった。
 彼女はこのように仕事に一生懸命であって、家では老を敬い幼を育て、平穏無事に生活していた時、1999年7月20日独裁者江沢民によって法輪功に対する迫害が始まった。于立新氏は自分自身が法輪功によって、心身ともに良い変化があったことを国に反映しようと、そしてもっと沢山の人が法を得られ、より良い人になれるようにと思い北京を訪ねることにした。しかし、彼女は吉林市公安局に連れ戻され、人道なき迫害を受けた。それでも、彼女は法輪大法を放棄しなかった。彼女は共産党からは除籍され、会社からは解雇され、更に非法に5年の刑罰を科された。于氏は不服を訴えたが、誰も法輪功のために進み出る人はいなかった。故に、于氏は水も食事も口に入れず絶食を始めた。于氏は吉林省女子刑務所に入れられ、ベッドで4ヶ月もの間縛られていた。この4ヶ月もの間ずっと絶食をしていたので、命の危険に瀕していた。于氏は危篤に陥ってから2001年10月にやっと解放された。が、その後、派出所のものは度々于氏の自宅へ掻き乱しに現れ、連行しようとすることも絶えなかった。于氏は仕方がなく放浪することとなった。2002年3月5日、于氏は借家から吉林市治和派出所に連行された。彼らは体が衰弱している于氏にあらゆる酷刑を施した。拷問の椅子などを使って于氏は甚だしく虐待された。
 2002年3月8日于立新氏は又も吉林省女子刑務所へ送られた。そこで于氏は再び絶食をもって迫害に対して抗議した。その後、于氏は吉林省公安局病院へ移送されたが、当時の血圧は0だった。しかし、公安局病院の者は迫害を止めなかった。さらに于氏に中枢神経を破壊する薬を注射した。4月5日、于氏は昏迷状態に陥って、連続痙攣のあまり意識不明となった。にも拘らず悪党らは于氏の血管を切り、切り口に直接薬を注射した。于立新氏は絶食絶水してから66日後の、2002年5月4日に冤罪を負いながらこの世を去った。
 于氏には70歳の姑と8歳の娘がいる。于氏が亡くなった当日、彼女の姑は何度も何度も長春市朝陽溝強制収容所(于立新氏の夫、劉紅偉氏も法輪功を学んだことで非法に2年間強制労働させられ、長春市朝陽溝強制収容所に拘留されている)に、于氏夫婦との最後の面会を要望したが、却下された。
 全世界の善良な人々に緊急に援助の手を差し伸べていただきたい。公平な立場で法輪大法のために正義ある一言を発していただきたい。そして、刑務所の中で必死に耐えている、于立新氏と同じような立場にある数え切れない人達を救ってください!