日本明慧

旧勢力が邪悪を維持する口実を打ち破りましょう

 最近多くの学習者が、ドイツで近距離で正念を発した経験と教訓に言及している。私は別の角度からこの問題に関して自分の意見を述べたい。誤りがあれば同修に指摘していただきたい。
 なぜ旧勢力は邪悪をまだ維持しているのだろうか?彼らの口実は我々がまだ基準に達していないことにある。したがって、我々がドイツに行ったのは邪悪の首魁を根絶するためだけでなく、旧勢力が邪悪の首魁を利用して我々、特に海外の弟子全体が、本当に人間の観念から踏み出すことができるかどうかを検証するためでもある。今回、ドイツに行った海外の弟子は僅か100数人であり、海外の大法弟子全体の人数から見ると数は少なすぎた。行ってきた同修は今回の教訓をまとめた時に、一部の同修が静かな心で正念を発することを重視しておらず、逆に旗を広げることやスローガンを叫ぶことをあまりにも強調しすぎるという結論を出した。これはただ一方面であり、しかも主要な方面ではないかも知れない。なぜなら、もし旧勢力が邪悪の首魁を存続させる理由がなければ、邪悪の首魁を守ろうとしても守れないからである。“邪悪を根絶しているのは皆さんだけではありません。もし修煉者が根絶しきれない時は、神ないし、更に高い次元の神も邪悪の根絶に加わるのです。”《2001年カナダ法輪大法修煉体験交流大会における説法》。今すぐに旧宇宙の法を壊滅してはならず、なぜならそこに救われる生命がたくさんあるからである。師父は「旧宇宙のまだ法が正されていないこの表面も、無数の厖大な空間、無数の衆生、無数の神によって構成されているため、法が正されるまでそれを壊滅してはならず、さもなければ、そこにいる衆生は法が正されることがやって来る前に解体してしまい、救い済度されなくなります。」《北米での巡回説法》と教えてくださった。もし我々は全体的に基準に達していなければ、旧勢力は必ずこれを口実にして必死に邪悪の首魁を守り、存続させるであろう。
 今日から旧勢力はまた、邪悪の首魁のヨーロッパ5カ国への訪問を按配した。もしより多くの海外の弟子が今回のチャンスを掴み、人間の観念から踏み出して近距離で正念を発することに参加できるならば、国内の大法弟子が高頻度に正念を発していることに加え、大法弟子全体が基準に達していれば、旧勢力は邪悪の首魁を維持する口実はなくなるだろう。そして邪悪な試練も継続できなくなるだろう。これも大法弟子の慈悲の表れであり、旧宇宙の無数の生命に救われる機会を与えたのである。もし我々はすでにしっかりとやり遂げても、旧勢力がまだ悪を放棄せず善に従わなければ、まだ邪悪な首魁を守ろうとすれば、たとえ我々は根絶しなくても、より高い次元の神も直接に彼らを根絶するだろう。
 昔の経験や教訓は参考に値する。99年の4.25事件で一万人の大法弟子は生死を放下して、大法を守るために確固として人間の観念から踏み出し、天地を震わせた。しかし、なぜ旧勢力はまだ大法弟子に邪悪な弾圧を行ったのか?当時中国大陸の一億近くの修煉者がいて、僅か一万人が人間の観念から踏み出して来たといって、どうして大法弟子が全体的に基準に達したと言えるだろう、と旧勢力は考えた。したがって、より大きな強度に大法弟子を試練するため、邪悪な生命を操縦してこの前代未聞の弾圧を始めた。言い換えれば、もし当時大陸の学習者は時機を掴み、4.25事件においてより多くの学習者が人間の観念から踏み出して来たならば、この三年近くの邪悪はもう存在しないはずだ。“でなければ、法がこの世を正す時は静かであり、今回の邪悪がなければ、皆法を学んでおり、人類の道徳が元に向かって回復しており、法を正す勢いがやってきても静かなのです。”《米国フロリダ州での説法》。99年の4.25の日に天目が開いた学習者も目にしたが、当時空満面の神は皆厳かに天上に座っており、地上の大法弟子が基準に達し法を正されるのを待っていた。
 現在、法が世間を正すことがやってくる前に邪悪のない、平和で公正な環境を作り出して衆生を済度する歴史的責任がまた、我々大法弟子の身に降りてきた。特に海外の大法弟子は近距離で正念を発して邪悪の首魁を根絶するチャンスを持っている。今回の活動は全世界の大法弟子に関っているにもかかわらず、しっかりとやり遂げられるかどうかは、海外の大法弟子の法への理解と心性の基準に達することが非常に肝心である。
 また、法を正す過程での責任者というのは、法を正す時期において普通でしかも特別な名称である。責任者は大法において普通の修煉者であり、他の学習者と同様に大法の法理にしたがって修煉するべきである。しかし、責任者はまた重要な責任を背負っている。我々大法弟子は常人社会で修煉しており、皆人間の思想を持っている。人間的な側面は能力が弱く、邪魔されやすく、できるだけ人間的な側面がより大きく邪魔をされないため、法をよく学び、法理上でより早く認識できた大法弟子が他の修煉者を正しく導くことが必要である。この意義から見ると、大法の責任を背負っている大法弟子は責任がより大きい。なぜなら、多くの同修の人間的側面は、責任者が彼らの人間的側面を基準まで引っ張ることを期待しているからである。責任者はしっかりと法の基点に立って、法を正す全体の角度から問題を認識し、妨害を排除し、理性的にすべてに対処すれば、より多くの弟子が自らの法を正す道を正しく歩めるだろう。さもなければ、大法にあるべきでない損失を蒙らせる。今までの教訓と経験は十分に我々をより向上させるだろう。