日本明慧

嫉妬心を取り除き、正念を更に強大させる

2002年6月3日

【明慧ネット】師父は『転法輪』の第七講の中で次のように仰いました。「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、皆さんが修煉して圓満成就できるかどうかという問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。」と。また師父は『アメリカ東部法会に於いての説法』の質疑応答で、「嫉妬心を無くさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。この心は何を指していますか。」というある学習者からの質問に対して先生は次のようにお答えになられました。「ここの一切の心はもちろんあなたの修煉中の一切の正念を指しています。正念とはつまり正しい認識です。即ちあなたの修煉によって良くなった部分が脆弱になることを指しています」と。

正念を強く持つことができないことや、問題にぶつかった時に正念を発することができないという私自身の試練を乗り越えられない原因は、嫉妬心が関係していることに気が付きました(当然その他の原因もある)。学生時代は何事にも競争し、一番を目指して努力していました。敗北のときや自分の目的が達成できなかった時は他人を嫉妬し、他人が自分より少し良いというだけで嫉妬心を抱くことが習慣になっていました。この観念を修煉の中に持ち込めば、その表現は「他の人の修煉が自分より良かったら、その人を嫉妬します」や、「他の人が自分より良くなかったら、その人を軽蔑し、疎外します」となります。まったく典型的な常人の「強者を嫉妬し、弱者をからかう」という嫉妬心理です。ある時、一人の子供の修煉者と交流し、私は大きな啓発を得ることができました。私はこの子供の修煉者に尋ねました。「君には嫉妬心があるのかな?例えば他の子が君より良い成績だったら嫉妬するのかな? 」と。小さな修煉者は、「他の子が私より良い成績を取ったとしても嫉妬しません。むしろその子を祝福します。なぜならその子の努力した結果ですから。私が及ばないのは自分の努力が足りないからです、更に努力して追いつくべきです。」と言いました。「なんて純真なのだろう! 」と感動し、私は修煉の中で如何に自分の心を正すべきかを悟ることが出来ました。

私がもう一つ悟ったことは、宇宙の中の神々は皆お互い尊重し合い、次元が自分より低いからといって軽蔑したり、次元が自分より高いからといって嫉妬したり、お世辞を言ったりしないということです。この悟りによって私は修煉を通して他の学習者に正しい態度で接することが出来るようになり、良くない等級観念と権威思想を取り除くことが出来ました。自分の周囲にいる一人一人の修煉者が鏡のような存在で、自分の不足を映し出します。しかし、たとえ鏡であったとしても、他人へ不足を反射させるべきではありません。

私の悟りは大法弟子が一体を成しており、一人一人の学習者が全体の中の一部です。一人の学習者は良く精進しているのでしたら、全体に促進する効果があります。ですから、この観点から考えれば嬉しくならないはずはありません。常に全体から物事を考えれば、嫉妬心が存在するはずはありえません。ある修煉者は体験談で、「我々は共同で未来の大窮のために責任を持たなければなりません。もし、我々は常に全体のことを思えば、最大限に私心を放棄することができます。」と話しましたが、全くその通りです。

以上は個人の悟りですが、間違っている箇所がございましらご指摘のほどお願いいたします。