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法輪功学習者の宋翠玲氏が張家口拘留所及び明徳派出所で迫害され死亡した


【明慧ネット】宋翠玲氏、女性、52才、張家口市の石炭工場を定年退職している。江沢民の法輪功への弾圧開始以来、宋氏は6回に亘って上京陳情していた。その内の2000年10月宋氏が上京陳情した際に非合法的に拘留され、1万元を罰金された。しかし、宋氏はこの処罰には屈せず、2000年12月末に宋氏は再び上京陳情の行列に参加した。そして、絶食をもって抗議した後2001年3月初めに釈放された。宋氏は体が未だ完全に回復しないまま4月22日に、又も他の大法学習者と一緒に張家口から自転車にて上京陳情のために出発した。

2001年8月19日、管轄区内の明徳派出所の悪党警察らが、宋翠玲氏の自宅へ侵入し逮捕しようとしたが、宋氏は妥協しないことを決意し、両足を組み、片手を立て正念を発し邪悪を取り除こうとした。悪党警察は座ったままの宋氏を6階から洗脳班へ運び込んだ。宋氏は7日間絶食抗議したのち、悪魔の棲み穴から脱出した。

宋翠玲氏は自宅にいる時でも世の人々に真相を伝えるために全市を歩き回り、時には自転車で30余りの農村へ法輪功についての真相を説き、資料を配り、一人でも多く済度できるように努力し続けた。そして、ある時期には仕事先の関係責任者が宋氏の自宅に来て色々掻き乱したりした。宋氏はそれにも拘らず法輪功の真相資料を持ち、彼らのオフィスへ行って真相を説いたり、CDなどを関係責任者の自宅まで送付したりした。同時に正念を発し、彼らの背後の邪悪を取り除いた。宋氏の真相資料や説明を受けて、仕事先の関係責任者、職員ら及びその家族達の法輪功に対する見方も変わった。

2002年5月4日に宋氏は又も学習者と一緒に北京へ行って近距離で正念を発し、別の空間の邪悪の根源を取り除こうとしたところで、5月5日早朝に天安門の悪党警察に連れ去られた。北京の悪党警察は宋氏の住所及びその他の学習者の名簿を吐き出させようと、長時間に亘って宋氏に電気ショックを与え続けたため、宋氏は大小便失禁する羽目になった。張家口拘留所へ送り戻された宋氏のズボンはびしょびしょに濡れていて、腕や腿は青あざだらけだった。

宋翠玲氏は張家口拘留所でも非人道的な虐待を受けた。毎朝6時になると屋外広場へ運ばれ(5月の張家口の早朝は寒い)、そして昼の炎天下までそのまま放置された。宋氏は絶食をもって抗議を続け、9日目から意識不明に陥り始めた。そして、昏迷情態になった3日目に明徳南派出所所長宋全林氏は強引に食物を口から流し込む管を持つ、二軽病院の男性医師及び看護婦を連れて来た。邪悪な所長宋全林氏は、床に横たわっている宋氏を見つめながら罵った“またこいつか、何回もやらせるな、こういう時になると死んだ振りをする”また狂ったように叫んだ“他の人は釈放してもいいが、この四人だけは絶対に釈放してはならない。”この4名の法輪大法学習者は全員明徳南派出所管轄内に居住している。邪悪な宋全林氏はもう一人の学習者に向かって叫んだ“絶食してみろ!家へ帰りたくないのか?”張家口拘留所所長崔氏は彼らのこのような態度を見ながら自分も邪悪にまみれて“強引に口に食物を流し込むことは我々も出来る!彼女の状態をちゃんと調べてみなさい。”道徳心のない医師が宋氏の手を取って言った。“心臓、脈は正常。”続いて宋氏に無理やりに管を口に差込み、強引に食物を口に流し込んだ。

宋翠玲氏は水も飲めなくなるくらいに身体は日に日に弱くなっていた。ある学習者が最後に口移しで水を与えた。宋翠玲氏は昏睡状態になっていた期間でも、時々眼を開いたりした。その時の眼は輝いていた。これは宋氏の法輪大法に対する堅い意志表示でもあり、法輪大法が宋氏に与えた力でもある。宋氏が昏迷状態に陥って2日目から床擦れになった。また、宋氏の大小便の失禁によって益々床擦れがひどくなり、パンツも穿けなくなった。宋氏が迫害され死亡する直前に、他の学習者が拘留所の責任者に “宋翠玲氏の命が危なくて、いつでも亡くなる可能性がある!”と呼びかけたが、拘留所の所長崔氏は“我々の仕事は監督することだ、君達を釈放することは出来ない。この件を担当する上部の人間に連絡することしか出来ないのだ。”との返事だった。

5月20日朝9時に拘留所のある女医劉氏が巡回した時に、ある女性(犯罪者班リーダー)の史氏に宋氏の具合を尋ねた。そして、史氏は宋氏の具合は問題ないと答えた。医師劉氏はそのまま去った。そして、昼頃になって宋氏の呼吸に異常が発生した。一人の学習者が宋氏に水を飲まそうとした時に、宋氏の頭が横に向いたため、水は口に入らなかった。学習者はすぐに宋氏の鼻を触れてみたが、宋氏は既に息を引き取った。時間は11時45分だった。学習者がベルを鳴らして報告しようとした時、犯罪者である史氏が“水が喉に詰まったんじゃないのか?”と言った。その後、管理員丁氏と医師劉氏が来て、丁氏は入り口に立ち止ったまま、劉氏は宋氏の脈を適当に計ってから“死んだ振りをしている”と捨て台詞を吐き捨てて立ち去った。そして、12時10分に二人の刑事犯が宋氏を運び連れ去った。その時の宋氏は古いベストに薄いズボンの服装だった。その二人の後の話では、彼らは宋氏を2階まで運んでしばらく経ってから、宋氏は外から来た車に運ばれ連れ去った。

その翌日、点呼時に管理員からの話では、宋氏は251病院にいるとのことだったが、実際に宋氏は251病院へ運ばれた時点で、既に息がなかった。悪党警察は世の人の耳目をごまかそうとして、わざと病院で12時40分まで救急措置を施す振りをした。そして、“死因不明”の病院側の診断が出た後の午後1時30分に、やっと宋氏の家族に知らせた。その時は、宋氏の遺体は既に遺体安置所に移されていた。