日本明慧

りんご日報:花火の下にある民智——空中のSOSを見て感嘆する


【明慧ネット】《りんご日報》7月7日の情報によると、7月1日午前8時、董建華政権は香港帰還5周年の式典に旗を揚げた。多くの市民が朝から式典に参加しようと金紫荊広場につめかけたが、招待者以外入場することはできなかった。出席者は富豪や政治役人、特別な市民1000人。入場できなかった多くの市民は残念そうだった。

東漢延熹年間、恒帝が漢陰に遊びに出かけた。一般民衆が仕事の途中にもかかわらず、皇帝の様子を見に行ったが、ある一人の老人は引き続き仕事に没頭していた。尚書張温は不思議に思い、なぜ見に行かないのかと老人に尋ねた。老人は遊びが好きで民衆を害する皇帝は見る価値はないと言った。それで張温は恥ずかしく思った。現在の中国共産党は民には重い労働を課す一方で当本人は贅沢ばかりしている。皆わざわざ観礼にいって、どういう人間かを知っているのに、楽しく彼らの指示を受ける。老人の言うように「私は田舎もので、その道理はわからない。」さらに理解できないのは、たとえ古代の皇帝が恒帝のような不肖者でも、民衆が参観することを禁止しなかった。すでに7月1日に江沢民主席が通る道は全て封鎖され、董建華の主催する式典会場に近寄ることは出来ない。こんな国でも、こんな国旗でもまだ愛しているというのか。中国共産党が52年間も続けてこれたのはこのような民衆の知恵があったからこそ可能なのである。

このような民衆の知恵は、「新中国革命聖地」延安の千万の礼拝者から見えるし、毛沢東記念堂を訪れる農民の顔から見える、さらにワールドカップサッカー期間中国人のサポーターの顔に描かれた国旗から見える。外国のサポーターたちも顔に国旗を描くが、彼らの国旗は国民の権力を代表している。彼らの国の統治者は民意に背くならば降りるしかない。中国人サポーター顔の上の国旗は、たとえ2千年前の漢陰の老人でも笑うだろう。

7月1日当日、式典の責任者である香港民政事務局長何志平氏は一般市民の入場を禁止することについて、「一般市民に何か意見があるのだろうか? あったとしても聞く必要はないだろう。」と主張した。彼は必ずしも間違ってはいなかった。意見をもっている市民らが夜の花火大会を海辺で楽しく観賞し、新しい香港を祝うだろうか。華やかな花火とは裏腹に、失業者は徐々に増えつつある。当局は大金を投入し、すばらしい2002花火を演出しようとした。しかし、あの花火が打ち上げてから形を変え、国際通用のSOSとなった。海辺にいる民衆はもちろん気を落とすことはない。他人のせいにするかもしれないが、彼らはまた香港祝いに参加するチャンスがあることに喜んでいる。彼らは目の当たりにしている一瞬で燃え尽きる数百万元の華麗な、大気を汚染する花火に賛嘆の声を出している。