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四川楽山の法輪功学習者張卓氏が楽山張公橋第二派出所の者に迫害され死亡した

【明慧ネット】2002年6月7日午後5時過ぎ、張卓氏が楽山張公橋第二派出所の者に非法に逮捕され、翌日(8日)に派出所にて死亡した。

張卓氏、32歳、大学の学歴を持つ。1991年北京農業大学を卒業している。生前は楽山市農業局幹部を務めた(秘書歴を持つ)。1996年より法輪功を学び始め、積極的に大法関係の仕事に参加していた。周りの人達からは、張卓氏は穏やかな人で、常に笑顔で元気に人と接し、外見と実質が非常に調和していると評判だった。

張卓氏は2002年6月7日の午後、非法に楽山張山橋第二派出所へ送られた。8日に張卓氏の妻が知らせを受けて派出所を訪ねたが、張卓氏は既に死亡していた。張氏の妻が再三遺体と対面したいことを強く要求したが、遺体を放置している部屋の中には入れてもらえず、部屋の外からやっと覗くことが許された。当時通知されたのは張氏の妻の他に、張氏の職場及び張氏の妻の職場の責任者もいた。情報によれば、張氏の妻が張氏の死後の始末をするよう連絡されたのは6月11日だった。しかも、火葬場で張氏の遺体と初めて対面したことで、あまりにも突然すぎる張氏の死に、皆がこの事実を受け止め難かった。張氏の歯には血痕が残っていて、顔にも明らかに傷痕があった。また、首にも紐で絞められた痕があった。しかし、顔は相変わらず穏やかで、穏和な表情をしていて、張氏の生前の笑顔絶えないメガネ姿が思わず目に浮かんだ。この雰囲気はその場にいた人達に耐え難い悲しみと憤りを覆った。張氏がなぜ死亡したのかについて、派出所からは明らかな理由説明がなかった。

張卓氏は健康な状態で派出所へ送られて、翌日に理由もなく死亡した。張氏の母親が耐えられず、思わぬことをしてしまう可能性があるので、今でも張氏の死は張氏の母親に内緒にしている。張氏は大学卒業後就職して数年足らずで、張氏の息子は6歳になったばかりだった。張氏の家族は深い悲しみと苦しみに陥っている。

張氏の家族は今でも厳密な監視を受けていて、言論も制限されている。また、勝手に訪問者と接することも許されない。張氏の親族が公共検察法廷へ犯行者の法律責任の追求について上訴したが、江沢民の邪悪な政治集団の圧力の中では、正義と公理を訴える場所はない。張氏が迫害され死亡した詳細内容は現在調査中である。

世の人々よ、沈黙、麻痺は更に善良への迫害の程度を重くしてしまうのだ。このような好青年の命と熱血の代償は、あなた自身の良知と善心を呼び起こすこともできないのか?事件を知った者はもっと勇敢に邪悪の迫害事実を暴き、悪を抑え、善を賞賛するべきではないか。善良な人々を迫害する江沢民に追随している邪悪な政治集団は、正義と天理の裁きから決して逃れることはできない!
(2002年7月22日)