日本明慧

スターリンの側近ヤゴダーの遺言「やはり神は存在する」


2002年7月15日 

【明慧ネット】スターリンの最も忠実な側近の一人であったヤゴダーは、死の直前にある言葉を残した“やはり神は存在する”

ヤゴダーは、がっしりとした体格のユダヤ人であり、ソ連国家政治保衛総局と内務人民委員部(KGBの前身)のリーダーとして15年間君臨した。

1932年〜1933年の間に、飢饉によって700万人が亡くなった。当時飢饉の状況が最も酷いウクライナに勤務していた党内活動家の一人は、その後の回想で“1933年の春、私は飢饉の中で人々が死んでいく様を見てきた。婦人や子供の腹は膨らみ、皮膚は青ざめ、目は生気を失っているが、息を引き取ってはいない。方々に死体があり、破れた羊の皮に巻かれている死体、足に汚れた毛布を掛けた死体、農家の中にある死体、溶けかけた雪の中にある死体…”と話した。ウクライナに飢饉が蔓延している時、国家政治保衛総局は飢饉の主な原因が“階級の敵”と“反革命の陰謀者”による破壊活動によるものである称して、“階級の敵”と“反革命の陰謀者”を逮捕し続けた。

ヤゴダーは、スターリンのために数々の功績を残したが、彼の主たる“価値”は、スターリンの政敵を残酷に迫害し、残存する反対派とレーニンの親衛隊を地球上から抹殺することにあった。彼は“大粛正”の前半を指揮した。1933年〜1934年末までの党内部の粛正は、腐敗を根絶するためと銘打った。モスクワでは、1934年12月にスターリンの潜在的政敵であったキーロフの暗殺事件が勃発し、これを口実に1935年には、粛正運動はさらに拡大化し、一層政治的色合いを濃くした。

1936年、ヤゴダーの運気は頂点に達した。春には、彼は国家安全委員会総政委という総司令官に相当する役職に就任し、特製の総司令官服を着用した。 

しかし、一方では罪状は徐々にあぶり出され、キーロフの死に対する疑惑が深まった。1937年3月18日にヤゴダーの側近、主に各部門のリーダーたちは逮捕された。スターリンはヤゴダーを被告席に押し出し、彼がキーロフを殺害したと宣告した。彼が被告席に現れたことは世界中を驚かせた。かつて、ヤゴダーは医師団を雇い入れ、彼が殺害することができない人を“致死”させるために利用した。この1年半前の1936年8月のある夜、ヤゴダーはイェローフと共に内務部の地下室に行き、第一回モスクワ審判で死刑を下したジロヴィヤフ、ジャミニエフらの処刑を見届けた。だが現在、スターリンの命令によって、ヤゴダー自身は被告席に押し出され、同じ陰謀組織の参加者となり、ジロヴィヤフ、ジャミニエフ、スミルロウフなど、彼によって残酷に拷問された後、処刑された老革命家の“同一犯”となった。

ヤゴダーは権力の頂点から、一気に恐怖に溢れた牢屋へと陥った。かつて、ここで無数の無実の人を拷問していた。彼は何を考えたであろうか? スターリンの恐怖政治を遂行し、無実の人の判決文に署名していたヤゴダーは、いかに傲慢なことであったろうか。判決文の内容も読むことさえしなかった。だが、今は無数の殺害された犠牲者と同じ路へと向かうのであった。

ヤゴダーは、逮捕された直後は、捕獲された猛獣のように鉄籠の生活に慣れず、休むことなく監房の中を徘徊していた。食事も取らず、睡眠もせず、止むことなく独り言を言っていた。

ある日の夕方、かつての部下であるスルツギが、面会時間も終わり帰ろうとしたところ、ヤゴダーは彼に向かって“イェローフに報告書を書く時、私のために次の一言を付け加えてくれたまえ。やはり神は存在していると”、“それは何の意味ですか”とスルツギが問うたところ、“簡単なことだよ”ヤゴダーは真剣な面もちであるが、まるで冗談のように答えた。“私は全力を尽くしてきた。そして、スターリンはただ褒賞だけをくれた。他には何もない。やはり、自分は神の厳しい処罰を受けるべきであろう。なぜならば、しばしば神の戒律を破ってきたからだ。私の結末を見れば、神が存在しているかいないか、自ずと判断できることだろう”

その後一年の間に、ヤゴダー時代のほとんどの所長クラスは、逮捕され処刑された。