日本明慧

私が法を得て修煉を始めた経歴


2002年7月26日文/英国大法弟子

【明慧ネット】私が修煉を始めて2年が過ぎました。この2年間に経験した大きな変化について、大部分のことを書き出してみんなと分かち合いたいと思います。

皆は私を阿月と呼びます。“笑和尚“と呼ぶ同修もいます。それは私が朝から晩まで誰に会ってもニコニコしているからです。でも修煉する前は皆私を“魯知深”と呼び、多くの人は私を恐がっていました。私の国内での仕事は建設装飾の個人会社の社長で、以前は煙草とお酒が酷く、名義、利益に対する執着心が強かったので、国内でのあの環境では恐らく一生修煉することはありえなかったと思います。今考えてみると私が英国に来たのは大法を得るためでした。

私は2000年4月にオックスフォードで大法を得ることが出来ました。私は初めて《転法輪》を読んだ時のことを覚えています。本の中の字が動いていて、体を浄化する反応も出て来ました。私は1ヶ月をかけて本を全部読み終え、非常に気持ち良く感じました。本に書いてある功法に従って煉功を始めました。煉功をすると体の中で何か動いている感じがして、反応も強かったのです。その時私はひそかに決心しました。如何なる大きな困難に遇っても修煉を続けてやりぬけなければ、こんなに素晴らしい大法に申し訳ないと思いました。

煉功を始めてから、身体の浄化反応が非常に強烈だったので、座禅を組むと痛くて全身が震えました。でも私は我慢して堅持しました。それは私が、借金は返さなければならないことが分かっているからです。自発的にこれらの業力を消し続けなければ、それらは力を尽くして私を探し、返済させるため、あれこれの苦しみを与えて、私が修煉を続けなくなるようにしますので、私は自発的に出行わなければならないのです。それから私は毎日2時間法を学び、2時間煉功をしました。後になって私は座禅を1、2時間組んでも痛くなかったし、ほとんど時間内は入定できました。

私の消業が最もすごかったのは歯が痛くなって顔が大きく腫れた時でした。半月余り痛くて、水を飲むのも食事をするのもできなかったし、痛くて大の男が涙をぼろぼろ落としました。最後に私は本を開いて師父の写真の前で、心から黙々と先生に私を助けて業を消して下さいとお願いました。結局三日後私の歯の痛みはなくなり、それから再発しませんでした。

心性を高めていく時のことも少なく有りません。たとえば他の人がいつも私に分担以外の仕事をさせる時も、不公平な役割分担をさせる時も、私は黙々と与えられた仕事を上手く行い、少しも気にしなかったし、他の人が私の携帯電話で100英ポンド余りの通話料を使っても、私は彼と言い争いもしませんでした。

しかし、私もたくさんのうまく行えなかったところがあります。その中の一つは2000年のクリスマスのことでした。修煉を始めてから私は間もなく煙草と酒を止めました。クリスマスに故郷の友人達は集まって、みんなで酒を飲みながら楽しむ時、最初は飲まなかったのですが、他の人にすすめられ、最後には堅持できず一杯飲みました。飲んだ後私は後悔しました。クリスマスが過ぎて私が出勤している途中、なんと支配人の電話を受けましたが、その内容は、私は解雇されたので出勤する必要はないとのことでした。もし昔の私だったら、誰かがこのように私をいじめたら、私はとっくに彼を腹ばいになるまで殴ったかもしれませんが、今度の私は心性を守って、平気で彼に答えました。“大丈夫です。私は帰って自分の荷物を片付けて直ぐに行きます”。私は支配人を探して解雇金の要求をすることもなかったので、友達は大変驚き、阿月が法輪功を修煉してからいきなり人格が全く変わって、なんと度量が大きくなったのだと不思議に思いました。あの時は仕事がなくなったので、気持ちがすっきりせず、学法も煉功もしなくなり、消極的でした。ある日の夜夢を見てから私はやっと目が覚めて、再び真剣に修煉をするようになりました。夢の中で2つの山の頂上で、二人の修煉者が一本の縄で私を引っ張っていました。引っ張らなければ私は谷間に落ちてしまいそうでした。谷間の下は汚れてぬかるんだ所で、そこにはあの日私と一緒にお酒を飲んでいた友達がいました。夢の中での私は絶えず下へ落ちて行って、すぐ落ちてしまいそうになった時、私は自らに対して、君はこのように落ちてはいけないと言うと体が一寸上がっていきますが、その後また下へ落ちて行きました。私は目が覚めた時には全身が冷たい汗で濡れていました。そうだ、これは師父が私に示してくれたことで、ここで駄目になることはないと思いました。私はすぐ出て行って仕事を探し、その日のうちに見つかりました。それからは自分で修煉に精進するよう促しました。

夢の中と煉功中に師父は私に示してくれる時が多いのです。ある日第二の動作をしている時、天目からとても美しい情景が見え、水があって山があり、滝の側で座禅を組んでいる人がいました。私は好奇心を持って、誰が煉功をしているか近づいて見ると、師父でした。黄色の迦裟を着ていて、髪の毛は青く巻かれていました。私が注意深く目を凝らすとすぐにいなくなりました。師父は常に夢の中で私に示してくれますが、惜しいのは多くのことを私はまた悟っていないのです。時には仕事に疲れて帰って、あまり本を読みたくなくて寝床に横になっている時には、常に耳に師父の大法を読んでいる声が聞こえて来ます。

2001年1月、私はマンチェスターで仕事を探しました。私が初めてマンチェスターにあるチャイナタウンに行った時、胸がむっとして気分が悪くなりました。そこにいる多くの人々は法輪功の真相を知らず、周囲のエネルギー場は純粋ではなかったのです。そして私ともう一人の同修は毎週一回はそこに行って真相を説明しました。それから暇があったらチャイナタウンに行って洪法をしました。私がそこに行くと“法輪功の人がまた来たよ”と言います。最初は車に乗って行きましたが、後になって私は歩いて行きました。背中に真相資料を入れたリュックを背負って、往復4時間かけて歩きました。私のリュックサックの上にはSOSのポスターがあります。私は普度済世の音楽を聞きながら歩き、真相資料を配りました。効果は非常に良く、そのため多くの人は法輪功の真実の情況を理解することが出来ました。

以上は私の僅かな修煉体験ですので、足りないところをご指導と訂正宜しくお願いします。