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法輪大法とは一体なんですか?

【明慧ネット】法輪大法とは一体なんですか? 政府やメディア、社会に対して真相を明らかにする中で、常に人々からこのような質問を耳にします。多くの人々がすでに迫害の真相を知っているにも関わらず、この問題に対してある困惑が避けられないのです。

ここで、私達は“修煉”というこの概念から、一つ簡単な説明をしたいと思います。

修煉は、人類文明の中の一つの源が最も深く、奥深く玄妙で尽きることのない領域で、通常は心法(原則とも呼ぶ)と功法の二つの部分を含み、哲学と健康保持の範疇をはるかに超えた内容を包含しています。功法は、普通は身を修める部分を指し、心法は人の心が清らかになるよう、人を高い境地まで昇華させるのです。昔から修煉の真髄は社会で公に、また深く突っ込んで探求され普及されませんでした。しかし、人類や、物質が存在しているそれぞれの空間、生命と宇宙神秘の力を掲示することができるために、依然として中国の文化と西方文明の中で様々な痕跡を残しています。中国の古代の太極、河図、洛書、八卦、インドの古瑜迦、西方のいくつかの静修の法など全て修煉の奥深い神秘なものを含んでいます。しかし、歴史の推移と心法の伝承が絶えることによって、現代人はすでにこれらの修煉方法の本来の深い意味に触れることができにくくなりました。

法輪大法は上乗の佛家修煉大法であり、宇宙の特性「真、善、忍」を原則とし、五つの緩慢で、優美な煉功動作も含み、1992年から中国社会で公に伝授され始めました。「真、善、忍」は宇宙の最も根本的な特性であり、宇宙の中で良し悪しを評価する基準であります。法輪大法の修煉にあたって、繰り返し心を静めて『転法輪』を通読し、本の中で詳しく述べられた「真、善、忍」の基準にあわせて個人の心性を高める努力をし、また補助的に煉功をすれば、短時期の内に予想以上の高いレベルに達することができ、本地に帰ることが出来るのです。

法輪大法は「真、善、忍」を修煉の基準とし、善良で、平和で、すべての活動は公開的で、自由意思で、無料なのです。老若男女を問わず、わずか数歳の幼児から90歳の老人まで、修煉者の一人一人は皆社会の中の一員なのです。個人にとって、法輪功を修煉することは病気を取り除くことができるだけではなく、人を健康、誠実、善良、寛容、平和に導き、その上知恵を開くことができ、次第に人生と宇宙の神秘を知り抜くのびのびとする境界に達することができるのです。社会にとって、法輪功を修煉することによって社会は安定され、寛容と祥和で人々の全体の元気な生活の質を高めることができるのです。そのため伝えだされてから人から人へと、心から心へと伝授し、日増しに人が増え1992年から2002年までの10年間で、法輪功は中国と世界の50余りの国々と地区にあまねく伝わり、各国の政府、団体から700項目の表彰と奨励または支持を受けました。現在、全世界の各民族と各族裔の修煉者の人数は1億を上回っています。

1999年7月20日から、中国のその残虐な独裁者は個人の偏屈により、善良な法輪功をする民衆に対する弾圧を始めました。彼は手に握った汚い権力を利用し、国家からマスコミのデマを飛ばし、法輪功にぬれぎぬを着させ、恐怖と隔たりと憎しみを作り出したのです。3年間の間、一億を超える法輪功の大衆は罪のない迫害をされ、10数万人は刑務所と労動矯正所または精神病院へ送り込まれ、千人を上回る罪のない方が迫害で亡くなり、その上このような迫害はまだまだ続いています。今回の迫害は中国の法輪功学習者だけではなく、すべての自由意志で真善忍を信奉し従っている人々を狙っています。これは人類の正義、道徳と良知に対する非情な壊滅なのです。従って、各国の法輪功学習者たちは、ぜひ全世界の人民と各国の政府の皆様にこれらの迫害の真相と迫害の邪悪の程度を知って頂きたいのです。

3年間の非常に残酷な迫害の中で、広範な法輪功学習者たちは信念を固めるだけではなく、修煉の中で世間の人に向って真相を明らかにする過程で日に日に理性が熟しています。これらの一人一人の個人からなる全体は、巨大な災難の中で世間が注目する勇気と平和の本質を表しています。法輪功の修煉が人々に純粋を与え、迫害の情況の下でも依然として先に他人、後に私という境地で、全世界の法輪功学習者たちと共に平和な道を歩き、修煉界に輝きの歴史の手本を確立し、人類の道徳水準をもう一度向上するために極めて重要で積極的な作用を果たしているのです。

法輪大法は誠実と勇敢、寛容と慈悲を育てます。現在、法輪功の弟子たちは自分の言動をもって世間の人に向って法輪大法を実証する努力をし、もっとも大勢の人々がこの千載一遇の修煉の縁を捉えて本地に帰る道を歩けるように助けています。間もない将来、法輪大法によって比類ない素晴らしく美しい聖人の世が現れ、福のある人々は、幸に重大な歴史の時を見ることができるでしょう。
(2002年7月4日)