日本明慧

時々刻々正念を保持する

2002年8月16日 文/大陸大法弟子

【明慧ネット】ここしばらく、法の勉強が少なく、良く寝たりして、精進しなくなり、正念不足で、邪悪がすきに乗ずるようになった。町に行って、野菜を買い、ついでに法輪功の真相資料を一人の男の子に渡したところ、彼が私を告発し、私は公安局に捕まえられてしまった。そして当日の昼頃、矯正労働所に送られ不法に労働教養3年となった。出発前に、公安局の庭にて、警察が私を車に乗せようとした時、私は拒んだ。結局、公安局の殆ど全員が力を合わせてようやく私を車に載せた。私は彼らに大声にて叫んだ。「法輪大法は良いと必ず覚えて、必ず覚えて!」その中の一人が言った。「覚えた!」

途中にて私はずっと彼らに洪法し、真相を伝えた。彼らは聞いたり、質問したりした。その中の一人の若い武装警察はずっと汚い言葉を言った、私が何回も注意したら、彼の汚い言葉は止まった。彼は他の人達に言った。「法輪功は良いですよね、悪口を言うのも止めてくれるからね。」

私は自分を戒めた。「師父は傍にいらっしゃる、今から時々刻々正念で全てに対する」と私は心から師父に言った。「師父、弟子は閉じこめられてはいけません。私は未だ終えてない願望が多く残っています。私はまた真相を伝え、衆生を救わなければなりません。彼らの按配を承知しません、慈悲が偉大な師父が私の正念を加持いただけますようお願いします。」正念を発する以外は、「論語」を暗唱した。一回また一回と、矯正労働所の他の空間の邪悪な要素、邪悪な旧勢力を繰り上げて取り除いた。

その武装警察達はそこに行ったら良く改心しなさいと言った。私は自分がもともと良い人なので、改心は要らないと言った。私は心で師父に言った。「私は絶対邪悪に妥協しません。私は絶対に邪悪な旧勢力の按配、迫害、試練を認めません。彼らにはその資格がないです!」私は突然王伯の法を待ち、法を得たと言うストーリを思い出した。ある段落には文化大革命の時、彼は小屋に閉じこめられたが、功能を利用し全身がむくむようにし、そこから解放されたと書いていた。それに気づくと、心から師父に言った。「師父よ、弟子は邪悪のどんな試練も受けたくないです、早く正法洪流の中に戻りたいです。師父、加持してください。」

午後6時過ぎ、矯正労働所につくまでの間、私はずっと正念を発していた。身体検査、身長、体重の測定があった。そして、いつからか胸が苦しくなり、力も無くなった。続いて、血圧と心拍数を測ったが、私はずっと医者に向けて正念を発して、彼の後ろにあるほかの空間の邪悪要素を取り除いた。同時に「どきどきして!」と心臓に言った。測り終わったら、医者は「もう終りました、お戻り下さい」と言った。私を送ってきたあの人達が理由を聞くと、お医者さんは心拍数が120だからと言った。あの武装警察達は失望した。矯正労働所が収容してくれないと彼らは任務を完成できない。そして、我々の市の公安局に電話連絡をして、状況を説明して、どうしたら良いかと聞くと彼等の上の人はこう指示した。「顔なじみを探して、お礼をしても、お金を使っても良いから、一応私を引き渡せ。」彼らはしょうがなくホテルに止まり、その次の日、顔なじみを探して私をもう一回身体検査させようとした。

その次の日、彼らは知人を探し、もう一回身体検査をした。今回は医者が変わり、身体検査を受ける際、私はその医者に対して正念を発した、同時に心の中で彼に言った「良心を失うことは絶対しては行けない、貴方の一言で私が閉じこめられるようになったら、貴方の罪はとても大きいよ。」彼は先ず血圧、後は心拍数を測った、測り終わったら、何も言わずに部屋を出た。私は彼が敢えてこんな責任を負えないのだと感じた。彼は私達を車の中に待つようにし、武装警察達は車にて私を監視した。ちょっと年配の所長と運転手は身体検査室で結果を待っていた。私は今がとても肝心なときと知り、ゆるがずにすっと正念を発し、正念を発し、徹底的に全ての旧勢力の按配を否定した。所長と運転手が戻ったとき、彼等の表情で、ここは私を収容しないことを知った。その時既にお昼に近づき、彼らは我々の市の公安局に連絡した。でも未だ任務は未完成だった。彼らは一応レストランに行って先ず食事をするしかなかった。その時、私は心が動き、こう思った。「師父、私はそんなところには行きたくないです。ここを逃げられるのなら逃げます。でも、二日も食事をしてないし、水も飲んでないので、力がなくで走れないので、食事をします!」このとき、彼らも丁度料理がそろい、私に食べることを極力勧めていた。彼らは私の心拍数が速いのが食事をしない理由だと思った。丁度私が食事をすると言おうとしたとき、頭を上げたら、一つのとても大きい「忍」が壁にいるのが見えた、光を発していた、壁の至るところに全て「忍」、「忍」、「忍」だった。その青色の「忍」は光を発していた。私は涙を流さずにはいられなかった、師父はそんなに慈悲で、時々刻々私を見守ってくれる、私が茫漠としている時時々刻々私に悟るように教え、導いてくれる。私が泣くと、彼らはどうしたら良いか分からなくなり、あの所長は「心配しないで」といった。続いて、彼らは私に食事をするよう極力勧めたが、私は「食べない!」と堅く言った、私は師父が私にもうちょっと我慢するようおっしゃっているのを知り、もう一回師父の慈悲の偉大さを体得した!師父は私のそばにいらっしゃる。

食事が終ったら又ホテルに止まり命令を待つようになった、私は正念を発する以外に、5セットの煉功を一回した。煉功が終ってすぐ、我々の市の公安局から電話があり、私達に戻るよう命令した。戻る途中、一人の武装警察が言った「我々は貴方に負けた!」私は少しもゆるがずに、ずっと正念を発し、「論語」を暗証した。天津につくと、彼らは又私に食事をするように勧めたが、私は自分の家に着かないと食事をしない、絶対食事を取らないと言った。夜1時過ぎて本地公安局に戻ってきた、本地の看守所も収監を拒否したので、こうやって、私は無条件で釈放された。

その次の日、学員に会ったら、私が捕まるを見た学員が他の学員に知らせ、地方の学員にも知らせた。農村と都市の皆が私のために正念を発してくれた。この事件を通して、全体の力がどんなに重要なのかを体験した。
今回はたまたま危険に遭わなかったが、実はとても危険だった。私はこの魔難が自分の不精進、努力しないことによって邪悪がすきに乗ずるようになったために生じたと思う。当然我々は邪悪な旧勢力の按配を認めない。しかしこれからは必ず精進実修し、緩んではいけないと心に刻んだ。