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遼寧省葫蘆島市大法学習者劉麗雲氏が遼寧省女子刑務所にて迫害され死亡した

[明慧ネット]遼寧省葫蘆島市大法学習者劉麗雲氏は2001年12月6日に非合法的に4年の刑罰をされた。遼寧省女子刑務所に投獄された劉氏は、2002年7月23日に死亡した。刑務所からは病気で死亡したと報じたが、内情を知っている人からは刑務所の者に虐待され死亡したのだという。刑務所は事実を隠蔽するために、強引に遺体を火葬した。

劉麗雲氏、女性、44才、1958年旧暦の正月22日に生まれ、遼寧省葫蘆島市楊家杖子経済開発区に在住していた。

1999年12月、劉麗雲氏は安徽省阜陽市で開かれた交流会に出たとき拉致され、留置所へ非合法的に45日間監禁された後、2000年1月末に自宅へ戻った。

2000年6月23日午後2時過ぎに、楊家杖子派出所警察楊振勇、馮軍、馬広超、趙xxと町内会の関宝玉らが劉麗雲氏の自宅に闖入し、大法の書籍、師父の肖像、“真、善、忍”、“法輪常転”、“論語”の等の掛け軸及び法輪のバッチを奪い取った上、劉氏を派出所まで拉致した。そして、夕方5時に葫蘆島市留置所へ移送し、非合法的に一ヶ月を拘留した後、更に楊家杖子洗脳班へ送り込み、非合法的に40数日を拘留した。劉氏は水、絶食して迫害を抗議した。三日後に釈放された。

2001年12月、天津で開かれた交流会に出ている際、劉麗雲氏はまた天津の警察に拉致された。その後、葫蘆島市公安局の者に連れ戻され、葫蘆島市拘留所に監禁された。劉氏は悪党警察に不法に5000元を没収された。また、葫蘆島市連山支局の者は劉氏の自宅を不法に家宅捜査し、コピー機を1台、大法の説法CDを16枚、大法の書籍など没収した。2001年12月6日、劉氏は非合法的に4年の刑罰をされ、遼寧省女子刑務所の7大隊7小隊に監禁された。

2002年5月、劉麗雲氏の夫である胡宝純氏、息子胡陽氏は遼寧省女子刑務所へ面会に訪ねたが、刑務所に拒絶された。胡氏は刑務所の隊長王xxに“何故会わせてもらえませんか?”と訊ねたところ、王は“彼女は経文を詠み、絶食したからだ”と答えた。“殴られて具合悪くなったのですか?”王隊長は“殴ってはいない、立たせる体罰しただけだ”と答えた。何故体罰するのかと訊ねたら、警察は“彼女は監理に服従しないからだ、体罰するのがあたりまえだ”と答えた。

2002年7月24日、女子刑務所の4人の警察(一人は女性署長、体がやや小さい、40代、ほかの3人はみな男性警察)が葫蘆島市楊家杖子にやって来て、劉氏の父親(69才、字が読めない)に“お宅の娘は重い病気にかかっているから、一緒に会いに行こう”と瀋陽のある招待所へ連れて行った。翌朝、女子刑務所の者が劉氏の父親に“劉麗雲氏は23日に高血圧と心臓病のため死亡した”と伝えた。劉氏の父親が劉氏の遺体を見たいと求めたが、刑務所の者に“遺体を見たいのなら、火葬することを同意したうえ、関係書類にサインをしなければ、見せない”と要求された。劉氏の父親に断られた。こうして劉氏の父親は彼らと3日間対立して譲歩しなかった。このように、3日3晩のあいだ、女子刑務所の4人、また法輪功を専らに迫害するほかの二人は劉氏の父親をずっと監視し、また火葬に同意するサインを要求し続けていた。3日後、劉氏の父親は“遺体は見ないから、サインもしない、私は帰る。あなた達は火葬をしようとしまいと、もう私は知らないことだ”と言った。女子刑務所の者が“骨灰が要るか?”と聞かれ、父親は“要る”と答えた。彼らは“骨灰が要るなら、書類にサインし、捺印するのが必要だ”と攻めた。父親は自分の名前以外に、字は読めないので、何の書類か判らなかった。サインした後に、父親は薄暗い部屋へ連れられて行き、電気も点けないままで遺体を見せた。しかし、顔の部分しか見せてもらえなくて、頭が腫れ上がっていたことが確認できた。その後、遺体は直ぐに火葬し、父親を車に乗せ、楊家杖子へ戻した。内情の知っている者からは、劉氏は間違いなく殴られ死んだのだという。