日本明慧

心が正しい時

【明慧ネット】大法弟子、スーェーデンにて人権を勉強する、14人の中国人検察官に真相を伝える

ゴテンバーグの学習者が、私の住む町にあるラウル・ウォレンバーグ学校に、14人の中国人検察官が人権の勉強に来た、と教えてくれた。この学校には人権の為に働く組織があり、中国で法律の教育を助ける契約がある。私達は中国人検察官に会いたかったが、その日は彼等を見つけられなかった。学校側は、彼等はそこには居ないと言ったが、私達のCDを手渡す約束をしてくれた。

次の数日中は、どうやって彼等に会えるかばかりを考えていた。私は思った、「彼等はまだここに居るに違いない、私はそれを感じることができる。」 彼等がもうすぐ去る予定だと聞いた後、私は旧友の処へ映画を見に行くのに自転車を漕いでいたら、そこに彼等は良いスーツを着て、鞄を持って立っていた。彼等はバスを待っていると思っているに違いなかったが、実際は心の中では真実を待っていたのである。彼等が去るまでたった3分しかないのを見て、私は困惑した。心の中で彼等の良いスーツが気になり、私は時間がない、他にやることがある、等々思い始めた。正念を発してから、私は彼等の方へ行って話しかけた。彼等は私が少し中国語を話せるのを認め、微笑んだ。私は法輪功学習者であることを早く言いたい思いに駆られた。しかし、このことをするには、大法弟子の威厳をもって、無理せず、追求せず、極端に走らず行わなければならないことを、私は知っていた。

私は「再見」(さようなら)を言い、正念を発し、彼等のことをしっかりと心に留めた。多くの執着が露見した。誰が威力を持っていたのか? 彼等のスーツと、無知な「自分が一番良く知っている」という思いだろうか? それは単に表面的な殻、旧邪悪勢力の毒ではないだろうか? 私は自分を、無限の威徳と威厳をもつ洪大な佛と見做しただろうか? 私は彼等の真の心を、奥深くの仏性を見ることが出来ただろうか。私はこの汚れた表面を通り越して彼等の目を真っ直ぐに見、真相を伝える勇気と、正直な心を持っていただろうか? 多分これらの検察官は真実を知らない為に、多くの法輪功学習者を強制労働所や、精神病院へ送ったかもしれない。

翌日学校から帰って、私の心は破裂しそうだった。私は良くないことを心に受け入れ、ここ数日間法の勉強を良くしていなかったことは分かっていた。私は読み始めたが、すぐに、駅へ行って読むべきだと思った。検察官達は多分その日ゴテンバーグへ向かうだろうと、同修が言ったから。それが何時のことなのか全く分からなかったので、私は座って一時間程読み、正念を発した。終わって、まだ足を組んだままでいる時に目を開けたら、彼等は私から5メーター程のところに立っていた。私は思った。「彼等はちゃんと来た。電車を待っているだけのようだ。」 そして私の頭は再び彼等のスーツを思い、すぐに様々な執着でいっぱいになった。これを正しい心でやらなければならない、と心に中では分かっていた。こんな心の状態で、彼等の処へ飛んで行くことはできなかった。大法弟子の威厳をもってこのことをやり、師父の美しい按配の中に留まらなければならない。私は目を閉じ、もう一度正念を発した。すると「おやっ、法輪功か?」と彼等が言った。それから大法の、足を組んでいる姿と美しい手印を見て、かなり熱心な討論が行われるのが聞こえた。私は師父の助けを求めた。「私はこれを正しく行わなければならない。今良くない考えを持つことは出来ない。」 すると一人がやって来て私の側に立ち、私が終わった時、私達は多くの人の中でごく自然に話し始めた。私ただそこに座っているだけだったが、私の心が正しかったので、彼等が私の方へやって来た。目を開けた時、私は落ち着いて自然に話した。私の心は正しく、声は静かだったが強く、私の目は彼等の目を真っ直ぐに見ていた。彼等の大きな目が不思議そうに、西洋人大法弟子を眺めているのが見えた。

この様に私はこの経験を通して、大切な教訓を学んだ。資料を配ることが役目を果たすと思ってはいけない。あなたは大法弟子である。大法を証明し、邪悪を暴いているのだ。資料を自分より大きく見てはいけない。真実を見て、彼等の悪い考えが如何に小さくとるに足りないものかを見、大法の偉大な佛の、深く静かな笑みをもって、彼等の邪悪な考えを除去するのを手伝いなさい。興奮したり恐れたりせず、ただ自分を正しい位置に置くだけで、未来の佛の暖かい心を持つあなたの面前に何があるか見なさい。師父は私達が法を得た時、私達の心を見たのではないか。偶然ということはない。人を救っているのだと、宇宙を救っているのだと、理解しなさい。

2002年9月20日