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河北省大法弟子盧兆峰さんは迫害されて亡くなった

文/中国大陸大法弟子 

【明慧ネット】大法弟子の盧兆峰さんが、39歳で、河北省大名県ネン頭郷劉荘村の出身である。盧さんは2001年10月、県公安局に連れ去られてから、邯鄲労働矯正所と高陽労働矯正所、二ヶ所で酷い拷問と過酷な肉体労働などの迫害をされていた。2002年4月、盧さんが死に瀕するようになってはじめて、労働矯正所側に釈放された。しかし、2002年6月30日、盧さんは、この世を去ったのである。 
 
盧さんは1998年4月から、法輪大法を修煉し始めた。法を得てから、彼はこのような高徳大法をより多くの人々に知らせるべきだと思った。そのため、盧さんは地元で、ボランティアで功法を教えるだけではなくて、お互いに心性を高めて共に精進するように何回も近隣の各省の大法弟子と一緒に心得交流会を開いた。彼は「真、善、忍」にしたがって自分に対して厳しく律して心を修めていた。家の経済状況が厳しいにもかかわらず、彼は積極的に有限なお金を出して、学習者のために大法の本を買ったり、衆生を済度するために大法の真相資料を印刷したりした。 
 
以下は、彼がこの三年間に大法を証明し、そして、邪悪の者が彼に対していかに極めて残酷な迫害を加えたかに関する事例である。 
 
99年4月25日、盧さんは中央指導者に法輪功の真実状況を訴えるために北京に行った。99年7月19日、河北省大名県公安局は彼が再び北京へ陳情に行くのを防ぐために、彼をネン頭郷警察署に7日間拘禁し、それから、また大名県拘留所に移して13日間拘禁した。99年12月、大名県公安局とネン頭郷警察署の警察らが会いたいという口実で盧さんを大名公安局まで騙そうとしたが、盧さんは邪悪のいかなる要求、命令、指令に応じなかった。しかし河南省南楽県警察に県公安局に連行された。そこで、邪悪な蘇銀懐は盧さんを跪かせるようにして、盧さんの足をずっと蹴っていた。盧さんはそれを拒否し、「僕は僕の師父にしか跪かないのだ、他の誰かに決して跪かないんだ。」と堂々と言った。邪悪な人は彼を南楽県看守所に4ヶ月も拘禁した。看守所で、盧さんは積極的に犯人、看守、警察らに大法が迫害されている実態真相を伝えた。そのために、同じ牢屋にいた四、五名の犯人は法を得て、修煉の道を歩み始めた。その中に一人の二十代の刑事犯が、煉功中で師父が彼の天目を開いてあげたそうである。2000年4月、盧さんは無条件に釈放されたが、しかし、邪悪の人はその時、盧さんの家族に総額1800元のお金をも強要した。 
 
2001年10月、盧さんが家で大法の真相資料を作っているとき、ネン頭郷警察署の三人の警察らは突然、盧さんの家に入った。そこにある大法の資料を製作するための印刷設備を見つけ、直ちに大名県公安局に報告した。二時間後、県公安局から何十名の警察と十何台のパートカーが駆けつけて、盧さんの家にあったパソコン、印刷機、テレビ、携帯電話、真相チラシそして真相VCDを没収し、盧さんを連れ去ったのである。そのとき、同時に連れ去られたのは李海山さんと黄艶紅さん、もう二人の大法弟子であった。公安局への途中、ある体の大きい警察がずっと盧さんの体の上に乗っていて、パートカーが公安局についてから、やっと盧さんの体から離れたのである。翌日、盧さんの家族が、彼の着替えなどを送ってくれようという知らせを受けた。盧さんの奥さんが急いでそこに追いつけた。奥さんが盧さんを無条件釈放するようと要求したが、しかし、警察らは奥さんが彼に食べ物を買いに行った間に、盧さんを邯鄲労働矯正所に送った。 
 
邯鄲労働矯正所で、悪警察らは、盧さんにヘルメットをかぶせてから、革靴で彼を蹴ったり、ゴムの棒で殴ったりして、また眠らせないなどの酷いいためつけを行った。警察らはさらに、盧さんの大法に対する正信を動揺させるために、盧さんを批判する大会を開いたのである。しかし、その批判大会にて、盧さんは絶えずに大法を証実して、邪悪の人をだます虚言を暴いた。彼の言行は、多くの圧力の下で無理やりに、いわゆる「転化書」を書かされた大法弟子を再び目覚めさせて、正法修煉の道に戻らせたのである。盧さんの正念正行は邪悪の人が恐れた。盧さんはそこで、12日間残酷に迫害された後、また河北省保定高陽労働矯正所に移られた。 
 
高陽労働矯正所の警察らは盧さんが修煉をやめさせるために、更なる残酷な迫害を加えた。しかし、盧さんは始めから「固く大法を修め続き、緩めずに師父に従う」を持ち続き、そして大法を証実し邪悪を暴いた。ある日、悪警察は「お前もし転化しなければ、お前を生きたままに埋めてやるぞ。」と脅かしました。しかし、盧さんはすこしも恐れなかった。彼は堂々と自分の命で大法を守ろうとした。それで、労働矯正所の邪悪なものは彼を目にするたびに怖く感じるというのである。長期的な不法拘禁、過重な肉体労働によって、以前大変健康だった盧さんも体調がだんだん悪くなった。さらに、カーペットを染める色素に含まれている毒素(強制仕事により)が呼吸で多量に肺に入ったために、盧さんはよく咳を出たり、息切れをしたりして、また呼吸困難にもなった。彼は、三ヶ月以上正常に食事を取れず、骨と皮しか残っていないほどやせて、歩くことすら難しくなったのである。それなのに、労働矯正所は、彼を釈放しようとせず、また彼の命を保つためにと言って、盧さんに注射をし続けた。盧さんは死に瀕するようになってはじめて警察らは家族に知らせ、20024月12日に釈放したのである。 
 
家に戻った盧さんは、労働矯正所で長期的な迫害と痛めつけを受けたため、体調がさらに悪化した。2002年6月30日夜九時ごろ、盧さんはこの世を離れた。なくなる前まで、盧さんは依然としてお見舞いに来た親戚や友人に真相を伝え、邪悪の人が自分に対する迫害を暴き続けた。この世を去る前の最後でも、盧さんは師父の正法口訣を唱えつづけた。2002年7月1日朝五時、赤い光は空を染めていた。彼の母親と村の多くの人々はこの奇観を目撃した。2002年7月1日午後6時、家族と村の人々が盧さんの棺を墓地へ運んでいく途中に、突然大雨が降り出し、盧さんの棺を埋葬してからやっと止んだのである。 
 
以下は、盧さんの死に責任を負っている人のリストである。 
河北省大名県ネン頭郷警察署署長:鄭章社   警察署電話:0310−6315110 
河北省大名県公安局政保課:沙××、常×× 電話:0310−6570362 
河北省大名県公安局局長オフィス:0310−6568887 
河北省大名県ネン頭郷政法委員会委員長:任学賢