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天津市双口労働教養所の警察は犯人を唆し大法弟子の陳宝亮氏を殴って死亡に至った

【明慧ネット】2002年8月15日、天津双口労動教養所に連行された大法弟子の陳宝亮氏は監獄の警察に唆された犯人に酷く殴られ死亡した。 

労働教養所の不法警察は屈服しない大法弟子を迫害するため、犯人を唆し、木の棒で大法弟子を殴った。陳宝亮氏が犯人の暴行を譴責したので、警察は犯人たちを放任し、陳さんをサッカーボール倉庫の中に運んで殴らせた。そこで、陳さんはひどく殴られて死んだ。天津双口労働教養所に非法に拘禁された大法弟子たちは早く法を学び、正念を発し、真相を言った。二大隊全員の法輪功学習者はおおやけに掌を立て正念を発し、他の空間の邪悪を除き、警察たちがたいへん恐れた。2002年8月8日に、隊長が突然捜査をし、数多くの経文を奪ったので、その夜、大法弟子たちは抗議した。8月13日、獄警は犯人に経文を捜査し出したものには5-10日の刑期を減らしてやるとの餌で、大法弟子を監視させた。大法弟子が眼を閉じてはいけないとされた。午後、大法弟子の王亜俊氏は眼を閉じたため隊長にオフィスまで呼んで叱られたうえ、刑事犯人の劉承傑は中に突入し、彼にピンたを食わした。王亜俊氏は断食で抗議し、大法弟子たちも労動教養所の上司に会うことを要求し、この迫害を制止しようとした。ところが、14日に人を殴った劉承傑は15日の減刑を受け、賞賛された。14日に、警察の指導員は犯人の呉国亮、李文洪、劉金明などを集め、秘密計画し、毒計を作った。 

8月15日の朝、大法弟子の梁峰氏は何日にも来隊した上司に相談しようと要求したが無視された。それで、仕事に出ないことで抗議した。犯人の呉国亮、李文洪などが彼を殴って怪我をさせた。午前その二人はまた労働場所に行って、大声で罵った上、木の棒を持って挑発した。大法弟子の顔景波氏は彼らを制止したので、彼らに殴られた。この時63歳の大法弟子の陳宝亮氏は:「人を殴ってはいけない」といったら、同じく呉、李に殴られた。このところへ孟隊長と王隊長がやってきて、やはり全員の大法弟子が話すこと、歩くことを許さず、両犯人の暴行を制止もしなかった。この時?警察の指導員もきた。大法弟子の陳宝亮氏が叫び出したので、指導員は人を指示し、テープで陳宝亮氏の口を封じさせ、手足をも束ねた。呉、李両凶犯はまた陳さんを蹴ったり打ったりした。それから、鄭学斌などの人は陳宝亮氏をサーカーボールの倉庫に運んで、犯人の呉国亮は「投げ捨てて殺してやろ!」と叫んだ。これらの暴徒たちは陳宝亮氏を地面に倒し、呉国亮が飛び出し陳宝亮氏の体に酷く踏んだ。その後、犯人の呉、李が倉庫のドアを閉じて、王隊長が外でみはりをしていた。他の大法弟子たちは労働教養所の上司にあうことを要求し、陳宝亮氏に対する迫害を制止しようとしたが、断られた。三十分後、暴徒たちは陳宝亮氏への暴力を一時やめた。陳さんはふらふらと倉庫から出た。犯人の呉国亮は後ろで:「誰も助けてはいけない、彼に自分で階段を這わせる!」と言った。陳宝亮氏は20メートルほど歩いたら倒れてしまった。高輝氏らは彼を建物に運んでやったが、何分間後、陳宝亮氏は息が絶えた。 

陳さんが死亡したことは、わたしたちは当日刑事犯人から聞いた。しかし、不法の警察は事件を隠そうとし、陳さんを五隊に移したと嘘をついた。8月17日に全員の大法弟子は抗議し、労働を拒否し殺人犯を懲らしめるよう要求した。17日の午後、悪警察の隊長は大法学習者に「陳宝亮は"心臓病"で死んだのだ」と言った。また「病院の検死レポートもあり、すでに家族に知らせた。陳宝亮氏の二人の息子はそれを認めた。当日午後、大法弟子の陳宝亮氏は火葬された。」と。しかし、天津双口労働教養所二大隊にいる23名の大法弟子と50名の犯人たちはみんなその殺人の場面を目撃した。嘘は事実を包み隠すことができないのだ。 

現在、労働教養所は厳しく警備され、情報を厳密に封鎖している。 事件当日の8月15日、よく晴れていた天気が、陳宝亮氏が亡くなった際には突然にわか雨が降りだした。修煉しない常人もみんな吃驚仰天した。大法弟子たちは悲壮を感じられた 。

非法に天津双口労働教養所に拘禁されている全員大法弟子は当所を訴える:
1.国家の法律を違反し、大法弟子を踏みにじめ、警戒具を乱用し、多くの人を障害させた。
2.刑事犯人を唆し、放任し人を殺した。
3.殺人犯を庇って、偽証を造り、殺人の真相を隠した。