日本明慧

師父への感激の気持ちを実修の行動に変えよ

文/ノルウェー弟子

【明慧網】まず、師父のしてくださったことに感謝したいです。本当に言いようがありません。でも、あえて話そうと思います。

ある日、私は散歩に出かけました。別の道から行こうと思って、あるヘルスセンターにたどり着きました。そこで、法輪功を紹介する人がいて、法輪功の功法のビデオを見せてくれました。それで、私は法輪功の本とビデオを安い値段で買いました。そして、自分の国では法輪功の功法は無料で教えるのを聞いて、驚きました。昔、私はずっと人生の意義を探しました。「探し、分かち合い、睦み合う」という言葉を聞いたことがあります。そのとき、私は自分をよくして自分の得たものを他人と分かち合うことにしました。この決定はいいけれど、まだ思わしくないところがあると思っていました。決定はあるが、行動する気はないし、どうすればいいかわかりませんでした。そのとき、私は法輪功と出会いました。法輪功は私がずっと探したものです。

家に帰って、近くの法輪功学習者と連絡を取りました。自分自身の修煉体験を通して私はまた法輪功のすばらしさをしみじみ感じました。そのときから、私はほとんど毎日練功しています。最初は少し難しかったですが、ためらいはしませんでした。困難に出あって強い決心をもって乗り越えていかなければならないときがあります。そのとき、このことがわかりました。功能を持っているある女性を訪れるのをやめるべきだということでした。彼女は私を指導したことがあります。このような訪問が私に安全感を与えてくれるが、だんだん頼るようになってきたということにも気づきました。それをやめようとすると、私は恐怖心を覚えました。だが、師父の指導の下で、この決定は正しいのがわかりました。しかし、そうかといって、一定の期間が経ってからでないと、安全と法輪功の保護を感じ取れませんでした。しかし、私はずっと師父に保護していただいていました。

そのとき、江沢民が中国で法輪功への邪悪な迫害を始めました。最初どうすればいいかわからなかったが、ようやく真相を伝えたり邪悪を暴いたりすべきだということがわかってきました。しかし、ほかの執着心も湧いてきて、大法弟子は中国で捕まって虐待されたり酷刑を受けたりしているのに、私は街で資料を配るのを見られることを恐れて、恥ずかしかったです。

直感的にはしっかり正法に参加すべきだと思ったのですが、私の人間的な考えでは、これは政治だという考え方に妨害されていました。それに、どうすればいいか本当にわからなかったのです。師父は、私たちの技能と創造力を使おうとおっしゃっていました。それに啓発され、私はほかの大法弟子からの手伝いと外国の正法活動と交流活動に参加することによって、だんだんノルウェーの政府の人たち、政府部門、マスコミに真相を説明するようになりました。

大型の活動などに参加することを通じて、私はいろいろなことを習ってきたし、法への理解も深くなりました。もちろん、それは師父の法のおかげです。私たちが修煉さえすれば、法はいつも指導したり助けたりしてくださいます。大法弟子同士の交流と法の修煉経験が役立ちます。

これまで真相を説明することを振り返れば、私はたくさんのことをしました。でも、時には、法に完全に融けないときもあります。今は法の仕事がたくさんあったのに気づきました。それは前の正法に参加するかどうかのこととは違うが、法の中で向上させる面から見ると、もっと大きな進歩を遂げられるはずです。私は、理解を向上させ、役割をちゃんと果たし、法にある次元を高めようと思います。

今は法をしっかり勉強することの重要さがわかりました。師父はいつも法をよく勉強しなさいとおっしゃっていました。真相を説明するとき法もよく勉強すべきです。しかし、私はまだ物事をする時間が少なかったら効果が悪くなるという考え方があり、うまく行くかどうかという執着心があります。しかし、重要なのは法に対するゆるぎない信念と、いろいろな忙しい事務と計画を立てることの中でも法の勉強を忘れないことです。大法弟子と一緒に法を勉強することは、特に忙しい時にとても大切だと思います。

師父は私たちに正念を発する方法を教えてくださいました。はじめて正念を発してみて、よくできなくて、あきらめました。師父は慈悲で、また私たちに正念を発するべきだとおっしゃいました。「自分に能力があると思っているかどうかに関わらず、正念を発するべきです。」(米国フロリダ州での説法)この話が私の心底までしみ込んで、私は改めて正念を発しました。師父のおかげでこの困難を乗り越えました。感謝いたします。これからもっとよくできるようにしようと思います。

師父は他人のことを考えよとおっしゃいました。それが私を助けてくださいました。私は他人を助けることを重視するようになり、他人を寛容、忍耐するようになりました。人が他人へ悪意を抱いたり理解しなかったりするのは自分に執着心があるからです。その人に必要なのは非難ではなく励ましと助けなのです。私は自分の観念を変えなければなりません。ほかの大法弟子に感謝します。彼らのおかげで私は法をよく理解できました。国内外の法会と平和請願は重要な修煉環境です。ほかの国の大法弟子が私たちの所に来て、修煉と真相を説明することを支持します。このことの重要さがわたったら、私もほかのところに手伝いに行きました。そんなことをしているとき、ほかの人よりよくできるという考え方が生じるが、私には、執着心が出てきたからこそ、この点がわかりました。これらの執着心を捨ててから、私は大法の中でよくできるようになり、自分に対する期待にまで達することです。

ほかの人と比べるのは重要ではありません。全力を尽くせばいいです。この過程は長いかもしれません。私は功能を持っている感じがしないし、功柱の高さも知らないし、天目で見ることもできません。しかし、私は疑いなくしっかり修煉します。私の収穫も多いけれど、ここで述べるのは長すぎるので、いくつかの例を取り上げさせていただきます。

師父と法輪功は生活の意義、私がどうしてここにいるかを教えてくださいました。真、善、忍に同化するとともに、私は活力、平衡、健康、和諧を得られました。個人の生活と仕事の中で自分の利益を得ようとしなくなり、他人のために考えるようになりました。

あと一つ。昔私は怒りっぽかったです。お客さんに言われたことさえあります。怒りを抑えようとしても抑え切れませんでした。でも、法輪功をやってから、怒らないようになりました。それは自然な変わりです。法輪功を修煉したおかげで、私は変わりました。心から変わりました。

師父のしてくださったことをまことにありがとうございます。言葉で感激する気持ちを言い表せないほどです。