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私が広州市芳村精神病院で受けた残酷な虐待

【明慧網】私は董玉華と言い、1974年7月24日の生まれ、本籍は黒龍江省大興安嶺である。広州市白雲区瑤台前進東路14号華美花園華麗楼801号室に在住。

私は1997年に大法に巡り会え、自ら修煉を始め、心身ともに大きい変化が生じて、道徳もかなり上昇した。私が中国を離れる迄、99年「7.20」から2001年10月までの2年間の間に6回も不法逮捕された。警察は合法的な手続きをせず私を拘留し、広州市芳村区芳村精神病院に43日間監禁した。広州?湾留置所に4日間、広州?湾拘留所に15日間、広州収容送還センター24日間、広州市白雲拘置所の33日間を含めて、合計15箇所に不法監禁された。監禁された間に、不法の徒に精神妨害の薬物を強引に噴霧、飲まされた。不法の徒らはまた、私の口に、目に、鼻に、耳に唐辛子の汁を噴霧した。又、中枢神経を破壊する薬物を強引に注射され、命が危うい状態になってしまい、一時期下半身が半身不随になっていた。

次は、私が精神病院で経験したこと、ここで公開する。

1999年7月20〜10月9日。

1999年7月20日に私は中国憲法に基づいて、法輪功の為に陳情に出かけた。天安門で二人の私服警察に殴られながら、警察の車に強引に載せられた。私がちょっとでも動こうとしたら、警察に跪かされながら、脛を強く踏まされた。それから、私は豊台体育館に送られ拘留され、炎天下に立たされ、食物や水も与えられなく、トイレにも行かせてもらえない。私は皆を誘い一緒に“論語”を暗誦した。そして、中央テレビ局が撮影に来た時に、炎天下でも座禅をし続け修煉を堅持するわれわれの態度が関係部門の注意を引いた。彼らは私が広州市に勤務、家族も広州市にあることを知りながら、私の本籍の黒龍江省へ強制送還した。途中、数箇所を経て拘留され、自由が無く、食事は拘留する側の指定した食べ物で、飲み水は明らかに異物が入っているものを飲まされた。食べた後、いつも胸がむかむかして、朦朧になって、唇が荒れたりした。疾走している列車で、二人の私服男性警察と一人の私服女性警察が私に、「暗闇の小部屋へ連れ交替で強姦してから列車の外へ投げ出してやる」と恐喝した。

私は本籍田舎の公安局に監禁された期間中に全てが不公平の待遇だった。強制的に大法修煉の原則を反する“保証書”を書かされたりした。私は監禁された間に、完全に恐怖に陥り、正常に法の学習や煉功が出来なく、基本の自由と人権も奪われていた。家族が私を広州へ連れ帰っても、公安は止めた訳ではなかった。噂と脅迫の手段を使い、家族にメディアの捏造情報を信じさせた。それで、家族は、私を広州市芳村精神病院へ受診させることに同意させられた。家族も適当に応対すればことが終るだろうと思っていて、親孝行の私もそれに従った。病院の先生が別室で診療する必要があると言うが、実質上、私を入院させるのであった。案の定、私は、鉄の籠のような病室に入れられた。私は入り口で「放せ!」と強く訴えたが、どうしても脱出出来なかった。家族も仕方なく高い入院費用を支払った。

私は精神病院でも煉功を堅持することで、病院の職員と医師らに酷く殴られた。私はよく殴られ倒れてしまうが、彼らは鉄の鎖を使い、長いときは3日間も私をベッドに縛っていた。その間に、大小便も全部ベッドの上でしてしまっても、彼らは決して私を解してくれなかった。同時に、いわゆる私を“治療する” と言って、大量の薬物を投与された。そのため、私の脳の働きが鈍くなり、顔の表情も硬くなり、眩暈と酷い頭痛、酷い疲労感と精神朦朧となってしまった。薬物の量が多く使用された時、家族のことも私自身のこともみな分からなくなり、毎日部屋の隅に渦巻いていて、頭の中は空白になってしまい、記憶が完全に喪失した。ある時期、私が堅持している真善忍の真理及び良く暗記しおいた“論語”もすっかり忘れてしまったのだった。

薬物の原因で、毎朝起床した時、きまってヨダレが枕の大半を染み込ませていたものだった。体の状態も日に日に悪くなり、心身ともに酷い虐待を受けていた。このような情況の中でも、病院側は更に治療項目を増やし、費用を高く徴収しようとした。このままでは、病気が無くても狂ってしまうのだ、彼らがきっと自分を狂わせるように最後までやるのだと、私は心の中でつぶやいた。病院で受けた全ての迫害が本当に酷かったので、私は一刻もそこに居たくなかったのだった。それで、私は自分に良くない薬物を飲ませる監視する医師の目を盗んで捨てたりするようにした。私は大法が自分に与えてくれた理性と智慧で自分の極まる苦しみ悲しみを耐え切って機会を望でいた。すなわち、これ以上に彼らに好き放題にされていけない、必ず魔窟を脱出しなければならないのだと自分に言い聞かせた。

大法の法理に啓発された私は、家族の援けを求めるようにした。病院の規定によれば、病状が安定し回復した患者は自宅で中秋節を過ごすことが出来る。がしかし、病院側は最初では許可しなかった。けっきょく、家族は機智な応対で私を自宅に連れ帰った。これを機に邪悪が家族に対する迫害を制止しようとした。それで、10月9日、私は断固と病院へ戻らないことをアピールし、それに家族も強く病院側を拒否したため、病院側はやむをえずやっと退院手続きをしてくれた。

以上は、私の個人が精神病院で経験してきたことだが、他にも沢山の大法学習者は似たようなことを経験しているのだ。私が知っているもう一人の精神病院に不法監禁された女性大法学習者が、彼女自身の虐待された事実をまとめ公開しようとする際に、武器を持った警察らに突然に拉致された。それ故、彼女の迫害された真相は未だに公開されていない。世の人々には是非、私の経験したことを通じて、江沢民の独裁政権が法輪大法の「真善忍」を修煉する善良の国民達に対して犯した罪をより明晰に認識し、善悪を見分け、悪を罰し、善を広げて欲しいと思うのだ。