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法輪功学習者廖朝斉氏は四川大邑県警察の酷刑により死亡した

[明慧ネット]法輪大法情報センターの10月15日の情報によると、四川邛崍市法輪功女性学習者廖朝斉氏が大邑県の警察に酷刑によって虐待されたため、10月3日に死亡した。遺体の顔が青紫を呈し、眼球が突出して、手錠の痕がはっきりと残っている。体の両脇の肋骨が数箇所骨折した。現在、当局はこの情報を厳密に封鎖している。

情報によると、57歳の廖朝斉氏は元??市婦人児童保健センターの党書記を務め、十数年間萎縮性慢性胃炎を患い、初期ガンに侵されていた。1996年法輪功を学習してから、全ての疾病が尽く治った。1999年7.20江××が法輪功を弾圧してから、廖朝斉氏は陳情に上京したため、40数日間監禁された。また、党籍を除籍され、給料の給付も中止され、離職させられた。2000年の後半に当局が彼女を拉致しようと企んだ為、廖氏は仕方なく家族とともに故郷を離れ、流離していった。

内情を知っている人によると、今年の9月25日早朝5時ころに、大邑県警察は晋原鎮小西街法輪功学習者陳桂英氏の自宅へ乱入し、煉功している陳桂英、廖朝斉、董玉英、古芝光及び20歳台の法輪功学習者を拉致した。廖朝斉氏も不法逮捕された。それから資料の出所を追求するため酷刑により拷問された。が、廖氏は絶食を持って迫害を抗議した。しかし、警察は彼女に口や鼻から強引に食物を詰め込んだり、酷く殴打したり、又、薬物の注射も行ったりした。廖朝斉氏は10月3日の夜にショック状態に陥り、病院へ送られたが死亡した。

情報によれば、廖氏の家族は努力に努力してやっと廖朝斉氏の遺体を見ることが出来た。遺体の顔が青紫色を呈し、眼球が突出して、手錠の痕がはっきりと残っている。右手の内側の肉が剥がれて爛れていて、頬に傷痕があり、唇に血痕が残っている。家族の強い要求の下に、検察医がやっと胸部を開き検査した、その結果、体の両脇の肋骨が数箇所骨折し、右側の第5−7の肋骨が完全に折れた。当局は家族に遺体検死報告書の提出を拒んだ上、家族に「これ以上の検死は求めない説明書」にサインを迫り、自分達の責任を逃れようとした。

四川邛崍市婦人児童保健センターのある職員が廖朝斉氏の死亡、時期は3日か4日だとのことを証明した。そして、この件については“公安部門政法委”に問い合わせるようにと言った。しかし、大邑県公安局及び晋原派出所の警察は“分からない”と回答していながら、記者の住所と電話番号を要求した。

民間の調査によって確認できたところ、廖朝斉氏の件では迫害され死亡した法輪功学習者の第500名である。廖朝斉氏の殺害事件発生後、当局はこの事件に関わっている直接、間接の殺人犯及び真実、詳細については厳密に封鎖している。