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イタリアGRAZIA週刊:中国から逃れる

【明慧ネット】38歳の女性は夫を亡くした後、自分の祖国を離れた。彼女の夫は信仰によって迫害を受けた。オーストラリアに着いても、彼女は抗争を続けている。

戴女史、38歳、経済学学士。「私と私の家族はこの残酷な迫害の犠牲者であり、当局はそれほど多くの人を恐れているが、彼らはいかなる信仰も我慢できず、これを迷信と反革命と決めつけた。私の涙は二重に重なっている。私の夫と私の祖国の人たちに・・・」。しかし、彼女は長い間泣くことができず、いま彼女は自分の悲しさを隠す必要がなくなった「私はもう中国に帰れない、私の名前は当局のブラックリストに載せられた」。彼女はいま“HANDS OFF CAIN”人権協会の証人で、その組織の声明では、「1600人が酷刑で死亡、10万人が懲役を受け、2万人が裁判なしで刑務所、精神病院に入れられ、数百万人が家を追われ、仕事をなくした」と述べている。

「私たちは法輪功の修煉者で、私の夫、陳承勇は、中国の広州に住んでいた。私たちは中国で知り合って、恋に落ちてまもなく結婚した。子どもが生まれたとき、彼女に美しい未来を祈って、法度という名前を付けた。私たちは非常に幸せだった、しかし、その後不幸が訪れた。中国における法輪功への弾圧によって、夫は会社を追われ、家に帰れなくなった。2001年1月10日以後、彼の消息が途絶えた。数ヵ月後、2001年7月、夫はほとんど識別不能の遺体となって広州郊外で発見され、私は法輪大法のネット上で夫の死亡を知った。」

「お姉さんは遺体を引き取った後、2年の懲役を言い渡された。娘は家に帰ってお父さんの葬式に参加することさえ許されなかった。(私の義父は自分の息子の死亡の知らせと、娘の懲役の知らせを聞いて、これほどのショックに耐えられず、まもなくこの世を去った。)また9歳の娘の面倒を見ることも許されなかった。」

オーストラリア政府の救援をうけ、8ヶ月後、戴女史は夫の骨灰をもらった、彼女の“記念”として。