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北京団河派遣所の一万ボルトの電気警棒、犯罪者の拳及び“衛生箸”

【明慧ネット】団河労働矯正所の派遣所に入ると、目の前に一列の武装警察が立っている。そこで、所謂“保証書”を書かない大法学習者が先ず、殴打、電気警棒の刑罰をされる。本来ならば、これらの電気警棒が使用されないものである。ある60歳台の大法学習者?氏は一度に数本の電気警棒に一万ボルト以上の電流で彼の体を襲った。?氏は全身水脹れになっても屈せなかった。それからまた、数日間ベッドに縛られていた。2001年4月以降、団河派遣所では大法学習者に酷刑を施す惨状が常に見られる。このような残忍な酷刑は明慧網でもあまり載せられていない、人間の言葉では言い尽くせないものである。

団河派遣所に到着すると先ず、衣服を全部脱がされ、全身捜査の名目であるが、良い品物があれば捜査を担当する所内の犯罪者らに警察の許可をえて奪われる。ドアを入るなり大声で“報告”と言わなければ、入れてくれない。しかも、ますます狂乱的に叫ぶようにすれば、変態心理を持つ監視役がますます喜ぶ。そして、派遣所に入れられると、短ければ数日間、長ければ数ヶ月に及ぶファシスト的な軍事訓練を受けなければならないのだ。殴打、罵られる、電気警棒で電撃されることは日常茶飯事である。そのため、沢山の人は、倒れてしまった。又、司法部の23号令を暗記させられること。記憶力が余りよくない年齢の高い人達は特に苦労する。殴打や罵しられることは勿論、暗記出来ない人は夜になっても寝かせてもらえないのだ。ここでは、毎日ハラハラしながらの生活である。訳もなく、犯罪者や班長が殴りかかって来たりして、罵られたりするのだ。ここの警察は一般的には人を殴らないが、同じ牢屋にいる犯罪者が人を殴るのだ。しかし、彼らも警察の前ではやらないけど、警察も知りながら知らぬ顔をするのだ。

午前の6時に起床、少しでも遅れたら又も殴り蹴られる。そして、起床と就寝時
に点呼が行なわれる。点呼の際は、床にしゃがんでいて、両手が頭の上に載せるのだ。姿勢が少しでも歪みがあったら、又も殴打の幕が開くのだ。点呼後はトイレ及び洗面の時間になる。トイレの便器5〜6個しかないのに30数人が同時に使用。しかも、声をかけながら“しゃがめ、拭け、立て”の3拍子で数秒しか与えられないのだ。それに、トイレへ行くにしても班長や犯罪者の許可がなければ行けないのだ。洗面所の蛇口も数個しかないし、蛇口の水の流れといっても、ぽたぽた落ちる程度に悪党警察はわざと水量を制限するのだ。このような情況の中で、トイレと洗面は10分間以内に済ませるにはとても困難である。所に来た新入人員は殆ど7〜8日間トイレで大の用が足せなかった。7〜8日間風呂に入れなかったら、夏場ではその臭さに耐え難いのだ。

派遣所では雨天を除き、毎日の食事は室外の空き地でしゃがみながらするのだ。(2001年10月以降は室内で食事するようになったが)食事の前に先ずは23号令を暗誦しなければならない。特に真夏の炎天下では、汗まみれになって、不味い饅頭を噛み、虫の浮いているスープの食事は5分間以内に済ませなければ、捨てられるのだ。

昼の仕事はよく箸包みをすること。箸を包む紙には“高温消毒”、“衛生箸”と印字されているが、作業する人の手の汚さといえばとても表現できないものだ。トイレの後、鼻水を拭いた後にも手を洗うことができなかった。飲み水でさえ困難であるのに、況して手を洗う水などないにきまっているのだ。そして、箸もベッドの上にあったり、床に転がったりしているものなのだ。派遣所を出た人の殆どは“衛生箸”を使わなくなった。毎日の作業が重くて、朝から夜の7〜8時頃、時には夜の11〜12時まで働かされる。勿論昼に休みを取ることも出来ないのだ。しかも、同じ牢屋の犯罪者の仕事の分もしてあげなければならない。

作業のない時は座ることしか許されなく、しかも、背中を真っ直ぐにしなければ殴られるのだ。夜は時々テレビを見るくらい。

普通の労働矯正された人達は所内で涙を流し、犯罪者に対して、社会に対して、国に対して恨み辛みを持ってしまう。

しかし、所内の犯罪者の中でも大法は素晴らしいものであることがよく知られている。彼らは警察に脅迫される圧力と自分自身の利益の為に、仕方なく大法学習者を監視し、話すことを禁じる、だんだんとこれぐらいしかしなくなるのだ。そして、一時の過ちで入所した善良な人達もいる。彼らはよくかげで大法学習者を守ってくれたり、生活の面倒をみてくれたりする。

又、一部の警察は、大法学習者に接してから、大法が中傷され無実の罪を着せられたことが分かった。彼らは公には学習者と話さないけど、人の知らない時にこのことを話し合ったりするのだ。