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母韓紀珍氏が警察に南京市精神病院に入れられ迫害された経緯

文/アメリカ大法弟子 王永生

【明慧ネット】どの方法を選んで自分の体を健康にするのかは人間の個人の選択で、人間の正当な権利のはずだ。しかし、江氏集団の統治の下に、中国の人民はこの権利すら奪われたのだ。私の母親は、まさにこの権利のために、警察に三ヶ月間も精神病院に入れられ、強迫に薬を飲ませられ迫害された。 

1997年末、過労の勉強で、私は本を十分間読んでも、眼の疲れが感じられ、止めなければ眼が痛くなる症状が出ていた。そのため、私は德州の医療センターに行って、検査をしてもった。その結果を見て、医者も仕方がなかった。「あなたの網膜は何か問題があるようだが、今は病状がまだ軽くて、私も何も出来ないので、まず観察して、もし病状が重くになったら、レザーで治療してあげる」と言った。幸いなことで、一つの偶然なチャンスで、私は法輪功を習い始めた。知らないうちに私の目が長い時間に本を読むことができるようになってきたし、それにコンピュータも使えるようにもなった。しかも、連続して何時間も使っても疲れなくなった。私の自らの経験から法輪功の不思議な功効が見えていた。すると、私は母親に電話をかけて法輪功の良さを教えて上げ、母親にも法輪功を練習させた。私の母親はもともとある新聞社印刷工場の労働者だった。多年の労働により、母親は多くの病気を患っており、特に28年間もの持病である婦人病は、漢方医学、西洋医学などいろんな方法で治療してみたが、その病状がなかなか治らなかった。しかし、1998年の始めに、母親は法輪功を勉強し始め、短い何ヶ月の中に、母親の体が大きな益が得られた。普通の風邪などは言うまでもなく、その頑固な持病の婦人病も完全に治った。母親は、ほんとうに無病で一身が軽くなっており、病院に行って医者に見てもらう必要はなくなった。それに、母親は "真善忍"に従って修錬し、性格も良くなり、他人にますます親切にするようになった。 

1999年7月20日後、江氏集団は、法輪功学習者に対する弾圧、迫害、あらゆる輿論を使って天地も覆わんばかりに法輪功を中傷し、中国で法輪功を取り除こうと必死にやっていた。多くの無辜な人間はその嘘に騙され、恨んでいる心理を持って法輪功に対処していた。そこで、国民に法輪功の真実の状況を反映するために、母親は1999年12月23日に北京へ陳情に行った。北京への汽車の中でちょうどほかの十数人の学習者に逢って、皆一緒に北京に着いた。北京には中央信訪事務所と国務院信訪事務所があり、その職責は各地からの平民たちが陳情と無実の罪を述べることを専門的に接待することだった。中国の憲法では:公民には陳情の権利があり、それに、陳情する人に対する弾圧と報復することを防ぐために、陳情する人はだれにも伺いを立てる必要はないと書いている。ところが、江氏集団は公然に中国の憲法を違反し、陳情に行った法輪功学習者は、皆捕まった。こういった状況下に、多くの法輪功学習者はやむをえず天安門広場にて大法の真相を述べに行くしかなかった。 

私の母親は、北京に到着した翌日に天安門広場に行った。天安門広場で警察が法輪功学習者を見つけたらすぐ捕まった。彼たちの法輪功学習者を見分けることは既に経験があった。それらの慈悲心深くて優しい異郷人の十の八、九は当るのだ。一人の警察は私の母親を見たら「法輪功の練習者か?」と聞いた。母親は 「はい!」と答えた、それで、パトカーの中に入れられた。車内に入ってから警察は母親の顔を両側にぴんたし始め、その警察は自分の手が痛くて動けなくなるまでずっと殴りつづけていた。その手が疲れたら、今度、彼は、また片方の手で荷物を持って母親を打っていた。 

警察は身分証明書により母親の住所が分かった。すると、母親は南京の地元の警察に南京に連れ戻され、強行に南京精神病院(現名は南京脳科病院)に入れた。最初、病院の方は拒否していた、医者は母親が精神病ではなく、入院すべきではないと言ったが、しかし、警察は大きな圧力を加えたため、仕方がなく医者たちは最後に入院することを同意した。医者は私の家族に「彼女は精神病のために入院したではなく、法輪功を練習するために入院させられたのだ!」と言った。 

私は母親が精神病院に入れられたことを聞いて、非常に驚いた!私は私の同級生や先生たちに教えても、彼たちは皆信じなかった。彼らは「今はそろそろ21世紀になったのにこんなことはありえないじゃないか。」と言った。

それで、私は先生に休みをもらって、航空券を買って直接に上海に帰った。翌日、南京精神病院に行った。幸いのことで母親に会えて、さらに詳しい状況を知った。母親にどんな治療を受けたのかを聞いたら、「毎日強迫的に注射されたり、薬を飲ませたりしている。ここの看護婦はすごく邪悪で、薬を飲まないと、彼らは人を縛り強行に薬をいれるのだ。薬は本当に私を苦しめさせ、座っても立っても横になっても居られなくなり、全身がだるくて、頭がふらふらしていて、全然落ち着くことが出来なくなってきた。」と母親は教えてくれた。母親が話しているとき、その話も動作もとても鈍くて、舌がとても大きいようにすばしこくなくなった。しかも、思惟も鈍くて、まるで患者のように見えた。 

私は母親と話しているうちに、突然看護婦が外側になにかを叫んだと聞いた。母親は緊張して「彼らは又私に薬を飲ませてきた!」と言った、すると一人の若い女性の看護婦が入って、コップと薬を持ってきて、そして母親に薬を飲ませたりしながら「今又法輪功を練習したいのか?止めなさいね!」と言った。私はそばでこの場面を見て、心が痛くて居られなかった。 

私は主治医に会いに行った。医師が患者さんを見ていたところなので、私は外側でしばらく待っていた。終わったと見て、私は入り、医者に言った。「私は韓紀珍の息子で、わざわざアメリカから帰ってきて、私の母親の実情を伺ってきたのです。」と。彼女は「あなたの母親の状況からすれば、いつでも退院できるが、しかし、警察の方が同意すればの話だ。」と。私は又薬のことを聞いたら、彼女は「我々も仕方がなくて、警察のほうから送ってきたもので、われわれはその薬を使わざるをえないのだ、そうしなければ、彼女はまた法輪功のために陳情に行ったら、我々は馬鹿な目にあうだから。」と答えた。

親族から何回も頼んでから、母親は春節の前に病院から釈放され年越しの準備をしていた。しかし、警察は翌日に私の家に来て、母親に保証書を書かせて、必ず北京へ陳情に行かないと、保証しなければ又精神病院に送ると強迫した。警察の強大な圧力の下で、母親は本心に背いたことをした。警察が帰って行った。我々は、今度は家族全員団欒できる年を過ごせるものだと思ったが、思いもかけないことに、翌日に警察が又来た。「あなたは陳情に行かない保証だけを書いては足りない、必ず又法輪功を練習しない保証を書かなければならない、しなければ、あなたを精神病院に送る」と。母親は「法輪功を練習して、心身とも大いに益を受けた私は、どうしてこのような保証が書けるのか?!こんな良い功法は私はどうして止めるのか?」と言った。警察は「やっぱり貴方の精神が問題があるのだ。まだ治っていない、続けて治療する必要があるのだ。」と言った、そして、警察たちはもう一度母親を強行に精神病院に入れて監禁した。今回は又二ヵ月続けた。 

私の父親は、体が弱くてその時に癌に罹っていた。手術してから母親の世話が必要だった。しかし、母親が警察に精神病院に送られ、父親の世話をすることが出来ないばかりか、かえって父親からその世話をしてあげなければならなかった。このように、我が家族の生活はほんとうに苦しかったものだ! 

2000年の年末、私は、親たちにアメリカに家族訪問の手続きをした。ビザも下ったし、航空券も買ったし、残ったのが飛行機に乗ることだけだ。しかし、不幸なことに、親たちは上海空港で止められた。税関のコンピュータにあるブラックリストに母親の名前があったからである。母親が出国できると、彼らの悪行は白日にばれると警察たちが分かっているのであろうか。