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ハルピン長林子労働矯正所の大法学習者を野蛮に虐待する暴行——両手を開かれて宙吊り、タバコの火で顔を焼く、ライターの火で手を火傷させる、針で指を突き刺す、小便を電撃・・・・・・

2002年12月30日 

【明慧ネット】 
ハルピン長林子労働矯正所は、9月に第五大隊を設立以来、130数名の大法学習者が相次いで迫害されていた。次は長林子労働矯正所の警察の犯罪事実である。

ハルピン長林子労働矯正所副所長石昌敬が法輪大法学習者に対して行った犯行の主犯であり、管理科科長呉継明がその共犯者である。そして、五大隊の趙爽は元々社会のチンピラ・ヤクザの類の者で、人を殴ることや虐待することは彼にとっては、日常茶飯事なのだ。又、2名の副隊長張純良及び楊禹も常に迫害の先頭に立つ犯人である。主犯格石昌敬の教唆の下に、五大隊の十数名の悪徒らが大法学習者に対する虐待が次から次へと止まずに行っていた。凶悪な犯人楊暁東と于富春は先頭に、大法学習者達をグループごとに五大隊へ送り込んだ。そして、新しく長林子労働矯正所に送られて来た大法学習者も真っ先に五大隊へ入れられ、迫害されるのだ。大法学習者を虐待する具体的な酷刑は次の通りである。「鎖喉」(拳で力一杯に、学習者が声も出なくなるまで喉を殴り続けること)、「目を弾く」(その場で目が開かなくなるのだ)、鎖骨を強く押し潰す、両手の拳で太陽ツボを強く殴る、タバコの火で顔や手の表を焼く(ある大法学習者は両手を開かれて宙吊りにされながら、タバコの火で焼かれ、それで顔に数箇所もの凹んだ傷が出来、また耳たぶが突き抜け穴になった傷ができたほどに焼かれたのである)、そして、ライターの火で手や陰毛を焼く(ある大法学習者の陰毛はライターの火で全部焼かれたのだ)、「上大掛」(両手を開かれ左右にあるベッドの上段に手錠で掛け、足が地面にようやく触れる程度に宙吊りする。三日三晩続けて行うこと)、「排針板」(ピンセットを使い、大法学習者の背中が斑の血に満ちるまで突き刺すこと)、針を大法学習者の指の奥に突き刺す(ある大法学習者は指の三分の二よりも奥深いところまで針で突き刺された)、「推排?」(虐待の酷刑の一種で、殆どの人がその痛みに耐えられなく失神するか虚脱する、びっこを引いてしまう);小便に水を掛けた後に3本の電気警棒を使い同時に電気ショックする、陰のうを握り潰す、「?奔児」(腰掛の脚で手を撃ち潰すこと)。

これらの酷刑を受けると同時に大法学習者達は、朝の5時から夜の12時まで、40cmX40cmのタイルの範囲内で顔を正面に向け、両手は背中に置く姿勢でしゃがむことをさせられるのだ。しかも、その範囲を出てはならず、振り向いてはならず、目を閉じてもならずとされるのだ。これらのことを違反した人は拳で殴られたり足で蹴られたり、ビンタされたりすることになるのだ。そして、食事は一人に半分、或いは3人で1人分の量しか貰えず、トイレへ行く回数も一日に3回しか許されないのだ。夜、就寝の時は肩と肩を並べ胸は前の人背中にくっ付くように前後一列にして寝るのだ。しかも、鼾や咳きをする人はビンタされる。犯人らは4人で一組として、3時間ごとに交替して監視する。又、交替後、真っ先にしゃがんでいる大法学習者を殴打することから始まるのだ。迫害の最も酷い時期では、夜でも五大隊から虐待された学習者の悲鳴が聞こえ、殆ど毎日も万家病院へ連れ出され、運び出された学習者がいたのだ。

これら凶悪な犯人はここほど尽力して学習者を虐待するのは、石昌敬から次のよう許諾があるからである。すなわち、一人を転化させたら、自分達の刑期が幾日かを減されるのだということである。しかも、学習者達を死へ追い込んでもいい、死なせても自殺と見なすものだとのことなのである。この点に於いては、7月に迫害され死亡した李洪斌氏及び8月に迫害され死亡した張涛氏がその最も有力な証拠である。この二人の学習者は共に口や鼻から強引に食物と一緒に不明な薬物を詰め込まれたため、のち全身発熱し、吐いたり下痢したりしたのだ。そして、李洪斌氏は万家病院へ運ばれる途中で気絶したのだ。それにもかかわらず、万家病院からは“救急救命を施した後、自然に死亡した”という証明を出した。その後、市第二院の監察医に鑑定された結果も同じだったのである。

四大隊の郝威、王玉鴎、孫慶雨、一大隊の楊金堂、強勝国、三大隊の王占超らは共にその凶悪な共犯者である。