日本明慧

新しい目で見る


文/アメリカ大法学者

【明慧ネット】私は今年70歳近く、図書館で働いています。私は中国大陸の独裁者が法輪功に対するデマを飛ばし、中傷する叫び声が日に日に増しているとき法を得ました。その時私は糖尿病にかかっていて、法輪功で病気が直ると聞き、病気を治すことができるのでさえあればなによりだと思い、中国政府のいかなる叫びにも関わらず、必ず本を見つけて読むつもりでした。

「転法輪」が手に入り、その時から私は本を離すことなく、毎日読んでいました。そして、練功をするにしたがって、いつの間にか病気は治りました。此処何年間薬を飲んだこともなく、70歳近い人間がとても元気なのです。数年来ほとんど毎日雨の日でも、風の日でも、連続の氷雪の日でも、酷暑日でも、何一つ恐れることなく真相を伝えるための新聞配りをやっていますが心身ともに益々元気になりつつあります。いつもこのことに思い付くと、弟子である私は本当に師匠にお礼を言いたくて胸がいっぱいです。

私は皆さんと、図書館館長の法輪功に対する態度がどのように一歩ずつ転換したかについて交流したいと思います。

この図書館の蔵書量と貸出量は当市でトップであり、ちょうど図書館がチャイナタウンの近くにあり、毎日行き来する華人が多いため、中国語の図書が比較的多いです。

中国語部はもともと黒人の友達が管理していましたが文化教養上の相違で、管理上の困難も多かったのです。主人と一緒に中国語部で働くことを決めた時、私はアメリカ政府機関で働くことにした以上いつも法輪功弟子像に注意し、仕事に努力し、必ずよくやると決心しました。

図書館は西洋人が東洋文化を理解できる窓口であり、特にアメリカの華僑、華人の中国文化に対する理解を高めることのできる架け橋であると認識し、立派にこの仕事を勤めなければならないと思いました。私達は図書館の仕事を始めてから時間を切り詰めて図書を整理し、気配りよく情熱で顧客のためのサービスを行っていました。お年寄りの行動の便宜を図って、仕事を終えた後に本をご自宅まで送ったりして、反応はとても良かったです。館長は私達のこのようなやり方について充分に認めてくれました。また、私は異なる類別の図書に関して形式を設計し、図書資料の管理セットを作り上げました。中国語全体の図書と各種のビデオテープが一目でわかるようにやり遂げ、館長は私達年寄りを新しい目で見ました。

図書を整理する時、私は各種の宗教の本が2冊ずつあるのに、大法の本はただ一冊で「転法輪大円満法」しか置いてないことに気付きました。私が図書館で働くことになったのは師匠が弟子のための環境配置であると悟り、この仕事上の条件を利用して、大法の書籍を読書コーナーに出すように努力し、縁のある人が法を得るための便宜を図りました。これは大法弟子のやるべきことなのです。ある日、館長との話しの中で、私は彼女に「ある人が図書館に何冊の本に送りたいと言っているのですが図書館では何が決まりでもありますかと聞き、本の名を「転法輪」だと言い出した時、館長の笑顔は消えていき、彼女は本棚にはもうすでに1冊の黄色の本があること、また、中国大陸での論争などで、この本を置いても見る人がいないと、言いました。

私は館長が台湾人で中国大陸の実情の理解が不足していると思い、彼女に先ず真相を伝えることにしました。従いまして、毎日私は心を静めて法を勉強し、その中で感じられるものがありました。つまり、平素解決出来なかった問題が法を勉強している時、一つ一つの知恵が浮かび上がるのです。例えば、私自身は多くの本を読んでいないし、図書館の仕事なんかやったこともなく、ましてや、図書専門は勉強したこともないのに、年もとって(もう70近くです)、いまさら、館長と同僚達の満足と顧客からの満足の声を得られるとは思ってもいませんでした。私は、これは法を学び、心を清めた結果であり、何時も、どんなことでも弟子の向上のために助けをする恩師に、此処で弟子は感謝の意を申し上げます。

大法の本をコーナーに出すため、私は又館長に会いました。彼女はやはり、この話題を避けており、同修が送ってきた大法の本のことも口にしませんでした。その時、私は中国大陸の江××政治チンピラ集団の大法と大法弟子に対する迫害で、上下一つの口にさせ、一緒に同じ曲を歌わせて、数億人を害毒しているのと同じく館長も騙されていると悟りました。従いまして、私は正念を発し、他の空間の世人を邪魔している邪悪な要素を取り除きました。同時に、法を正すことは厳粛なことであり、これ以上引きずることは出来ず、私の正念は正しいものであり、必ず「転法輪」を読書コーナーに出してやる、と思いました。そして、私は真剣に館長にある先生が二ヶ月前に法輪功の本を送ってきて、貴方の返事を待っていると、話しました。

館長はもうすでに本部へ送ったがまだ返事はないと、言いました。私は直ちに本部を通さず私達で「転法輪」を読書コーナーに出しましょうと、提案しました。しばらく彼女は返事もせず、微動だにしませんでした。回復を待って、彼女はとうとう私に、貴方は法輪功修煉者なのかと、聞きました。法輪功弟子だと返事したら彼女はびっくりして口がふさがりませんでした。彼女を困らせないため私は立ち去りました。二日後、彼女は自ら私に「転法輪」をコーナーに出すことを許可すると、言いました。私は彼女の転換に喜びを感じ、又、大法の本が読書コーナーに出るように便宜を図ってくれた彼女に感謝しました。館長の同意を得て私は直ちに「転法輪」をコーナーに出すと同時に、本部へ送り出した全ての大法の本とビデオテープに絶えず配慮をするよう催促しました。そして、彼女に大法の本は勝手に捨てるものではなく、しかも、法輪功を他の派と同列に論じることはできないと、教えました。

私達の師匠は億の弟子を持っており、昔から今日に至るまで誰がこのように大きな威徳があって、また、誰がこれだけの尊厳を有しているのだろう。

何年の間、法輪大法は弾圧すればするほど強くなり、昔から邪悪が正しいものに勝ったことも成功したこともありません。このように一回又一回の真相解明によって彼女は多くの問題を知るようになりました。数日後、館長は喜びながら私に、法輪功の全ての資料はすでに本部のコンピュータに保存され、数日後には私達のところにも送ってくると、教えました。私はとても嬉しくて彼女に感謝し、これは彼女の努力の結果だと思いました。
私のいる図書館には、本部の傘下に数軒もの分館があります。ある日、本部から仕事検査の人が来て、中国語部でかなり長い時間調べ、私達が整理した資料などを見てとても満足しました。彼らが帰った後、館長は、70歳に近い老人が毎週ただ二十時間あまりの仕事時間内でこれだけの大量の資料を書き出すとはと、本部はとても満足しており、感謝していると伝えました。それから、中国語部には度々人が来て観覧したり、検査したりしました。本部はフランス代表団に観覧させたこともあります。館長は私達に感激し、私達大法と師匠に感謝しました。なぜなら、師匠が弟子を彼女らの仕事を完璧にやり切るように助けているからです。

「転法輪」がコーナーに出てから早くも借り出されました。それで、私は館長と相談し、彼女の同意を得て本部にある大法の本を取り寄せました。縁のある人達に法を得させるために「転法輪」を含めて練功テープ、大法英語版と練功テープを同時にコーナーに出しました。

今年の9月、法を勉強している時、同修者が真相を伝える絵画展覧会を開きたいのに適当な場所がないと言っているのを聞いて私は図書館を利用させてもらいたいという気持ちで館長に相談しました。彼女は無料で場所と設備、用品を提供し、大勢の人が展覧会にくるように連絡を取り、展覧会期間中毎日いろんな活動を組み入れて、活動の前後、人達が絵を見るようにしました。

開幕式の日、彼女は中に入って、全ての図書が整然としているのを見て、驚きました。これは、大法弟子らが土日の休みを利用して整理してくれたのです。これは大法弟子達が「4,25」精神を忘れず、立ち去った後には吸殻一つありませんでした。今回の展覧会は大法弟子の主催で、同様に大勢の人達に清らかで新しい感じを与えたと思います。彼女はこんなに素敵に装飾するとは思ってもいなかったようでした。しかも、初めてこんなに大勢の大法弟子達を目にし、一人一人の言葉遣いの綺麗さ、朗らかで、穏やかで、互いの力合わせがそれだけぴったりであること、最後には、私達の功法演出と自ら作詞、作曲した歌「済度」を聞いて感動しました。開幕の時、彼女は、最初は確かに大法に対して抵抗の気持ちがあったが長い間、私の色々な表現をみて、法輪功に対する認識と見方がかわるようになったと、述べました。彼女は、今日自分の肉眼でこんなに大勢法輪功学習者の一挙一動をみて、新しい目で見るようになりました。

展覧会が終わって館長はまた、いろんな大法書籍を買いました。彼女はとても嬉しいですと言いました。私は、私達は本当に互いに新しい目で見るようになりましたと、返事しました。

(2002年アメリカ東地区法輪大法修煉者心得交流会)
文章作成:投稿:2002-12-7 更新:2002-12-72:54:08 AM