日本明慧

新疆喀什塔城市の大法弟子周玉栄さんは迫害により死亡


2002年12月16日

【明慧ネット】2002年3月15日の報道によると、新疆生産建設兵団の医師周玉栄さんは塔城市公安局により不法逮捕され、7月18日からずっと塔城市公安局留置所に拘禁されていた。3月15日逮捕されてから、周玉栄さんはずっと絶食して迫害に抗議していた。2002年12月4日、周玉さんは迫害により亡くなった。 

周玉栄さんは、女性、1963年2月22日に生まれ、住民登録番号:653127196302222220、漢民族、新疆石河子医学院を卒業、新疆生産建設兵団農三師四十五団病院の医師であった。 

2002年3月15日、周玉栄さんは塔城市公安局に不法拘留され、7月18日に不法逮捕された。その後、ずっと塔城市公安局留置所に監禁されていた。周玉栄さんは不法拘留された日から、ずっと絶食して抗議していた。留置所では強制にチューブで給食されたり、点滴されたりしていた。9ヶ月近く絶食した後、元身長170cm、体重68キロの周さんは死ぬ前にただ30キロの骨格しかなくなり、大小便が失禁し、歯も全部脱落した。周さんは僅かの息が残っている11月28日に、塔城市留置所の王所長はご主人に連絡し、12月2日に開廷審理のことともしかしたらこれが最後の面会だと知らせた。周さんのご主人は12月1日に14歳の息子さんを連れて急いで塔城地区人民医院に駆け込んだ。そこの第一内科の特別病室に入院している周さんは、24時間警察に監視されていた。責任を逃れるために、慌てて12月2日に開廷した。悪警察は僅かの息が残っている周さんをご主人に抱かれたままで不法の裁判を受けさせた。当時、周さんはまた意識がはっきりしているし、“私は無実です。陳情は大法の冤罪を晴らすためです”と自己弁護した。 

2002年12月4日午前10時過ぎ、周玉栄さんは懲役3年、執行猶予4年の判決書を渡された。周さんはやっと家に帰れることに嬉しく思った。しかし、退院して塔城華工賓館に移った当日の午後1時過ぎに息を引き取ったのである。 

周玉栄さんは、以前重症筋無力症を罹っていた。この難治性疾患に方法を尽くして治らなかった。99年7月から法輪功を修煉して間もなく病気が奇跡的に全癒した。しかし、これに伴って邪悪な迫害も始まった。周玉栄さんは法輪大法に対する固い信念を抱いて、2000年6月に北京へ陳情に行った。そこで連行、拘禁され、9日間の絶食した後、釈放された。2001年7月、新疆喀什の洗脳班に入れられる前にやむをえず家を離れて流離する生活を強いられていた。2001年12月に周さんは真実を訴えるために、再び北京へ陳情に行った。その後、逮捕されるまで、ずっと流離の生活をしながら真相説明のことをしていた。