日本明慧

技術、方法、修煉


文/汪潔

【明慧ネット】最近大法の仕事の中で出会ったことについて、自分の体験と悟りを話そうと思います。私たちは人間社会で大法の仕事をしているので、この次元の理に合わなければなりません。ですから人間の技術を把握し、運用するのもこの次元の理の表れです。しかし、私たちは現在常人と同様に、どうやって法を正す仕事をよく行うかということについて、その要点を技術に頼っていないでしょうか?私は私たちの中の多くの人が知らないうちにこのような傾向を持つようになったと感じました。ちょっと前のできことですが、一部の同修は一度、大量の時間を費やして、技術上の問題について議論しました、又常人を招いて、同修の中の専門家と一緒に私たちに技術を教えました。技術支援がないところの人は、技術支援があるところの人に対してとてもうらやましく思いました。一言で言うと、私たちの多くの人は、もしとても安定した技術支援さえあれば、私たちはもっと良く真相を伝える保証になるように感じました。

こんな考え方は、表面的には確かに道理があるように見えますが、これは只、人間の理であります。実際修煉者が人間社会で創造した一つ一つの奇跡のすべては修煉ができたその部分が法理上突破した後人間社会にもたらした表面現象です。しかし、私たちが目に見える人間の幻想に惑わされているとき、私たちは人間と同じく「経験の総括」を始めます。この真相番組が良くできたのは、彼がこの技術を使い、あのコンピュータを使い、あるソフト、あるライト…を使ったからであると思います。実際、人間の「技術」に奇跡を創造させたのは、大法弟子の修めた境地と知恵であり、私たちの「骨身を惜しまずに技術を研鑽する」ことではないです。ある同修が体験した通り、彼女の頭にそんなに多くの「技術」の観念障害がないとき、一番簡単な「知識」プラス彼女の修煉者の直感が、すでにもう充分任務を完成しました。これは勿論私たちは技術を学ぶ必要がないということではなく、修煉の中で遭ったどんな問題でも、私たちの心性に向かって来るものであり、心性問題が解決できれば、残りの技術上の突破と解決はすごく簡単になるということです。

このことから私たちの法を正し、真相を伝える中で採用したいろいろな方法も実は全く同じ道理であると思いました。真相を伝えることには、伝える過程で心性と法理上の突破があり、それが人間社会に現れ、方法それ自体が決定要因ではありません。方法はもともと只人間の中での仕事のやり方であり、自分を迷わせ、束縛するものではありません。この真相をよく伝えられたのは電話するこの方法が良いからだとか、或いはチャットというこの方法が良いからだとか、或いはマスコミ対応がよくできたからだとか、或いはこれが良いから、あれがよいからというものではないのです。みな自分の選んだ良い方法に執着し、人々がみな同じ方法をとるように希望し、更に方法について絶えず議論します。その結果は旧勢力の存在と邪魔に言い訳を作ってしまいました。電話料金が不条理に十倍も高くなりました。チャットでは文字を縦に並べるようになりました。真相テレビを作るのに「霊感」が無くなりました。現在の問題について、師父はすでに明らかに説いてくれています。私たちは未だに慣性的に人間世界で見える技術と方法に対する執着を重視しております。ある同修はこう言いました。私たちが静かな心である時はいつも、私たちの修煉はこうであるべきだと意識するけれど、具体的なことに遭うと、いつも先ず、頭に浮かぶ、口から出る、行為に移すのは、やはり人間の分析、具体的な問題処理の方法であります。目標は一心で大法のためですが、心はまだ「人間」の具体的なことに留まっています。

人間社会での良い方法は全て採用するべきでありますが、大法弟子は人間のどんなことにも執着を持ってはいけません。例えば、電話をする、チャットで話をする、ラジオとテレビ等等、すべてが真相を伝える良い方法です。然し、電話でうまく言えるようになったり、チャットでよく話ができるようになったり、良い番組ができたりする…即ち、真相をよく伝えたとき、大法弟子として、一回結論を纏めるべきであります。どうやって正念の作用を発揮したか、どの方面で心性が向上したか、法理上どんな突破があったかなどについて皆と交流して、全体が向上するべきです、そうしない場合は、法をもっと学び、内に向けて探し、みなと法理上検討し、全体を向上させるべきです。私はこれこそが私たちが法を正す中にどんな形式で入っても、持つべき状態だと思います、私たちが早めに真相を伝え、衆生を救い、済度する本当の近道だと思います。

個人境地は限られております。このような浅はかな意見を表すことによってより良い意見が出されることを期待して、浅い体験と悟りをここに書きました。みなさんがこのような現象について法理上、議論し、共に向上することを希望します。