大連市身体障害者の大法学習者王福東氏が迫害を受けた事実
【明慧ネット】大法学習者王福東氏は2002年1月2日に、真善忍の大法を広げると同時に江××政治ヤクザ集団がでっち上げた嘘を暴露し、人々が真善忍の高い境地に思いを寄せられるために大連地区から吉林の実家の農村へ出かけた。
王福東氏は、吉林の実家から大連へ戻って数ヶ月後に、吉林省大安県叉千鎮(王氏の実家)の警察所長王塏は県公安局の警察と二人で大連市金州区二十里堡の警察と共に王福東氏を拉致し、大法関連の書物や録音テープを略奪した。体の不自由の王氏の弟は、自ら大法を学習してから健康が大幅に改善し、寝返りも出来なかった寝たきりの自分が、寝返りを打ったり、字を書いたり、食事をすることが出来るようになったことを、更に、縄を掴まりながらベッドから降りたり戻ったりすることも出来るようになる、このようなことは大法を学習した前では絶対あり得なかったことだと警察に大法の良さを説明、証明した。しかし、二十里堡の警察は「あなたは治らないぜ」と怒鳴られた。
王福東氏は身体障害者で、体が両側の骨の機能がせず、腰を曲げることが出来なく歩く時は杖を頼りながら爪先で移動するのだった。法輪大法を学んでから王福東氏は厳格に真善忍に従い自分を律し、性格は益々強くなり、生活にも自信に満ち、積極性を見せた。父親は一家が大連に着いた年に亡くなり、母親は二人の病気の息子を抱え、国からの一銭の援助もなく、苦しく生きて来たのだ。王福東氏は家庭の生活負担を軽減する為に、牛一頭と羊6頭を飼い、一日何度も転んでも、春夏秋冬一日も欠かせずに山へ放牧に出かけるのだ。王福東氏の足は皮膚病を患い、常に痒みが伴うが、腰を曲げられない王氏はやむをえず小さい鉄の鍬で掻くのだ。それで、足に5〜7センチの傷をつけてしまい、よく血と膿が流れる。しかし、王氏は愚痴も文句も言わず、正に忍の心を持っていると言えるのである。
このような体でも王氏は、2002年旧正月前に大法の真実を説くことの重大性を知り、使命感を感じて、家族の不理解と阻止を振り切って、生死を共にし勇敢に立ち上がったのだった。持ち合わせの20元を手に握り田舎へ向う北上の汽車に乗った。王氏は田舎で標語を貼り、資料を配布し、村の中で世界法輪大法ラジオ局の放送を大きい音響で流した。又、自ら千叉鎮の中学校で焼身自殺の内幕を話したりなどのことをした。
それで、彼は警察に逮捕された。警察らは王氏を車の後ろのトランクへ入れようとしたところ、母親は王氏の血だらけの足を警察らに見せても無視され王氏はそのまま入れられ、連中は車の中に乗って去った。そして、帰りの汽車の中で王氏が王所長の会話から、王所長は国の為に仕事をしているのではなく、自分がネットに載ったり、有名人になったり、功を積んだりすることが目的であるために身体障害者も見逃さないことが分かったのだ。彼ら二人は先ず1500元もの公金を使って大連市で大いに遊んでいた。王所長は王福東氏が自分宛に出した煉功者を迫害しないような内容の手紙、資料及び千叉鎮鎮長姜春生氏(王福東氏の親族を脅迫し、大連地区の住所を言わせた張本人)宛の手紙を証拠物件として、王福東氏を大安県刑務所に不法監禁した。刑務所内の寝床の板は非常に低くて、王福東氏は2ヶ月もの間にずっと横たわっていた。足の骨の痛みが出て、行動は更に難しくなった。その後、白城市政法委の指名で王福東氏は白城市労働矯正所へ送られた。
王福東氏は最終的に裁判所に3年間の矯正労働の刑に不法判決された。後、王福東氏の体があまりにも虚弱過ぎたために、所外執行することになった。王福東氏は弱い体で親族のところに数日間を過ごし、その間にも親族や隣近所の人に真実を説き続けていた。しかし、帰宅の途中に大安市汽車駅で二人の私服警察に又も刑務所へ連れ帰され、2ヶ月間監禁の後に釈放された。
王福東氏は現在自宅で身動きが出来ず、大小便も自分では処理できないでいる。母親はベッドにいる二人の身体障害者の息子を見る度に苦しみに絶えず、号泣するのだ。
全世界の善良な人々よ、立ち上がり、一緒に邪悪を暴き、迫害を排斥しよう!
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