日本明慧

同修個人を迫害することは、全体を迫害することである

【明慧ネット】最近多くの同修は気分が良くない。初めてこのことを耳にした時私は、その同修は執着があるかそれとも正念が十分強くない為であると思った。だから私は積極的に彼らの執着を探し、彼らを助けようとした。その同修が短期間中に強い正念を持つようにならないと、私はどうしようもないという否定的気分になり、どうすれば良いのか分からなかった。私達同修はこの件について話し合い、意見を交換した。身体上の問題を主題とするのは難しかったが、これらには法理が反映しているに違いなく、それが一人一人の同修が体験している魔難に対処する為の方法を与えるだろう、そしてそこには共通するものがあるに違いないと感じた。

何故これが全体の問題なのか。

問題に出逢った時には自分の内面を見るように、と師父は言った。しかし初め私は何故他の同修の魔難が自分と関係があるのか、2002年米国フィラデルフィア法会での説法で通路を見つけるまで、はっきり分からなかった。師父が旧勢力の件に触れた時に言った。

「これらの問題が起きた原因は、一部の学習者が大法を修めた以上、何も恐れることなく、大法弟子でさえあれば、何の危険もないと思ったことが旧勢力の目に止まったからです。ですから、それはいけない、それなら保険をかけたことになるのではないか、大法を学べば何も恐れないとは強い執着ではないかと,旧勢力に見えました。ですから、旧勢力は大法の中でトラブルを起こします。」

このことから私が悟ったのは、この迫害の中で旧勢力は魔難の中にある学習者の心性を利用するばかりか、多分この様に考えて大きな心性のスキを作った(保険をかけた様な気分)これらの学習者を、直接利用しているのである。「大法弟子を鍛練によって成熟させる為」という見掛けの良い名目で、旧勢力は魔難の中にある学習者が、法を正す仕事に参加するのを阻止しようとしている。彼らは陰険な方法をもって、学習者間に不穏な気分を作り上げようとさえした。そうして法を正す学習者が衆生を救済する使命を完遂するのを、阻害しようとした。このことは個人の魔難が、実は全体に向けての試練である事実を現わす。

迫害が全体に向けられているのだから、その全体の中の全ての粒子は、旧勢力の按配の根絶に参加することが義務づけられている。一方私達ははっきりと完全に旧勢力の按配を拒絶し、一団として集中して正念を発し、同修が魔難を乗り越えるよう援助しなければならない。同時に私達の一人一人が皆自分の内面を見、自分の心が法に適合しているかどうかを考え、相互の話し合いをもって全体の心性を向上させなければならない。

実際法を正すことを妨害する為に、旧勢力は故意に各地区の大法弟子を分離させ、大法弟子間でお互いが協力するのを抑制することまでした。ワシントンDC法会で師父は言った。「相手のことは即ちあなたのことであり、あなたのことは即ち相手のことです」。法を正すことが現在の段階にまで到り、同修達は地区的、心理的、文化的、環境的、等々の素因によるスキを打破したと、私は感じる。そして相手のことは自分のことであるように、一学習者の魔難は私達が共に除去しなければならない障碍である。邪悪が同修を妨害したり迫害したりするのを許すべきでない。これは、法を正す弟子に要求される、全体の中で揺るがぬ粒子群を形成することである。一同修が比喩を使った: 一本の箸は簡単に折れるが、一束を折るのは難しい。全くその通りだ!

魔難に出逢った時、ある同修は次の様に認識する: 修煉は個人的なことであるから、他からの援助は役立たない。個人修煉期間においてはその様な考えで良かったが、今は旧勢力による破壊的要素が加わっている。情況は変わった。明慧ネットの一記事が私達を揺り動かした。それはある学習者の洗脳後の邪な悟りを述べたものである。彼女は師父の教えを反対にとるので、もう一人の学習者は彼女と交流するのが難しい。最後には、彼女の蔭の邪悪を除去する為に、一団の学習者が他の全ての学習者に、この洗脳された学習者に向かって毎時間三日間正念を発するよう通告することにした。天目が開いた学習者は、正念のかなり大きな場が、彼女の家の方へ向かうのをはっきりと見た。邪悪生命はその場に取り巻かれ、絶滅しそうになり、さっさと逃げ出した。三日間学習者達が正念を発した後、この洗脳された学習者は彼女の夫に、転法輪を読みたいからと本を要求し、それで法を正すことに戻った。

その様な邪な悟りにあって、その学習者が本当に正念を持つのは不可能であった。もしも私達が、修煉は彼女個人のことだ、という観念を持ち続けたなら、彼女は救済される機会を失っていただろう。それにもかかわらず同修達の結合した強い正念は、彼女を攻囲していた邪悪要素を解体することが出来た。この様に彼女は妨害から解放され、本性が出て再び法の勉強が可能になった。これに似た情況で、その様な大魔難中身体に大きなストレスがある時、醒めて正念をしっかりと持続するのは確かに困難である。だから彼女の周りの同修達は発する正念を強める必要がある。又私達は困難にある同修の気持を考慮し、皆が心から励まし、支持していることを知らせなければならない。それが困難にある同修にとって大きな助けとなるだろう。更に、魔難にある同修は、魔難を法を正す角度から見るようにし、個人的なこととして見て他の同修に知らせず一人で難に耐えようとしないのが望ましい。勇気をもって他の同修と交流し、共同で旧勢力の按配を根絶しよう。何故なら邪悪の最終目的は私達が法を正すことを阻止し、真相を伝える使命を完遂する機会を与えないことにあるからである。だからそれは個人的事情ではない。

これは交流の為の私の浅はかな認識である。間違いがあれば、どうぞ御指摘戴きたい。

2003年1月13日