日本明慧


新しい環境の中でさえ勤勉に修行を続けること

中国大陸の修煉者

【明慧ネット】私は去年大学を卒業して新しい市に転居しました。

他に修煉者もみつからず李先生の新しい記事も得ることができなかったので孤独に感じました。. 怠け心とおそれのために私は段々とたるんだ気持になりました。この年は私は大法をしばしば学習しませんでした。1、2回真実を明らかにする文書を配りにでかけましたが、こわがる気持が強くて急いで帰宅しました。始めは時間のある時に正念を送りましたが段々と何もすることがないときでさえ正念を送るのがおっくうになりました。大法から離れ去っていくのがわかっていてとても心が痛みました。

或夜、私は夢を見ました。夢の中では、ついに人間界の大法改正の時がきた日、よく修煉した者達は皆その神聖で比例のないすばらし世界に帰ったのに私は自分の怠けと無頓着のせいで人間界に残されました。 大法改正後の人間界では邪悪な人々は全ていなくなり、残った人々は非常に長く苦痛のある期間をへて業を除去してからやっとすばらしい新しい時代にはいるのでした。それは本当に苦痛にみちたものでした。日照りと焼けつく暑さと太陽が地球をあぶりつけました。沙漠が都市や村をのみこんでいきました。人々はぼろをまとい食べ物も水もありませんでした。

私はひどい後悔と苦痛を感じて母に「以前、私は自分の容易で快適な生活を失いたくなかったのでおそれながら大法の仕事をしていた。【大法改正の後の】人生がこんなにつらいと知っていたら、大法改正中に自分のおそれを全て捨てて李先生を手伝ったのに。」と言いました。でも、後悔するには遅過ぎました。

その時私は修煉の質問を見ました。そこには沢山の質問がありました。とても簡単で容易に答えられるものもありました。でも、自分のなまけのためにそうした質問に答えませんでした。例えば「正念を送る。」はとても簡単に答えられますし得点はとても高いのでした。もし私がこの質問に完全に答えていたならば私は試験を通っていあてしょう。しかし、私はその質問に答えろことをあきらめたのです。 他にもっと簡単な質問が沢山ありましたが私はそれにも答えませんでした。その瞬間の私の苦痛と後悔の心を言い表すことはできません。

顔中が涙でぐしょぐしょになって目がさめました。偉大で慈悲深い李先生が私のことを面倒み、心配して 下さって私の向上のために暗示されたのだとわかっていました。

たとえ ひとりぼっちでも大法を学習し連亙に励み、李先生の大法改正の手伝いをすることをあきらめてはいけないのです。真実を明らかにし、正念を送り、大法の学習をするーこの三つのことは私がひとりでもこの新しい環境の中でできることです。生命を救済することの責任をどうして忘れることができるでしょうか?

.私は様々な大法の本をひらいてみましたが「大法改正期の弟子」というよびかた、全てのおそれとなまけ心を捨てて勤勉に前進し、自分のペースを促進し大法改正の進行においつかなければならないということは疑いの余地がありません。

以上がいまだに容易さや慰めやそれに類似したものをを求めている修煉の仲間のための私の個人的な理解です。

(2) 私の先祖の話

李先生は転法輪の中で善悪は人のとっさ的な思いによるもので、その時の思いが違って結果をもたらす。」(第4講 「心性を向上させる」より)とおっしゃいました。
この天の原則は大法弟子の修煉期間の無数の状況においてその力を顕現しましたが、時々非修煉者の世界でもみられます。

或修煉者は数回にわたってひどい交通事故にあいましたが李先生の慈悲深い保護のおかげで一度も怪我をしませんでした彼女は彼女の家族にずっと前におきたことを話してくれました。

ずっと前に私の祖父と祖父の親友のひとりが事業を一緒にしていました。 或る日、彼等が馬車 である村を通った時に村の入口で老人が小さな男の子の子守をしていました。祖父達は事故をさけるために馬車 を降りて手綱をしっかりと握って村にむかいました。祖父達は特別に注意していたのにもかかわらず、その小さな男の子は突然荷車の下にむかって走り出してひき殺されてしまいました!

祖父達はひどく後悔して男の子のおじいさんにどんな償いをしたらいいかたずねました。[ 注: 昔は中国では近代的な保険や法的な制度はなかった。] 男の子の遺体を家に連れ帰 って床にねかせると老人は祖父達の仕事を遅れさせたくないので立ち去るるようにいいました。t.祖父達はそうできない、何かしなければいけないといいましたが、老人は帰るようにと言い続けました。ついに祖父達はそこを立ち去りました。

祖父と祖父の友人は家に帰ってからも事故と老人の偉大な人徳について考え続けました。数日後、祖父達は村にもどって老人と家族に何かしようと決めました。村の入口に近づくと驚いたことにであいました。あの老人がまたあの男の子が遊ぶのを見守っていたのです!あの男の子は再び生き返 ったのです!

あとで、祖父達はあの日に自分達が立ち去ってから老人が朝から日暮れ まで男の子と一緒だったことを知りました。午後に男の子の母親が食事をさせるために帰宅した時、老人は男の子の母親に眠ったばかりなのでそんなにすぐに起こさないようにと言いました。もっともだと思った母親は畑にもどって働きました。夕方、老人が中庭を行ったり来たりしていると中で男の子のさけび声が聞こえました。老人は部屋 に駆けて涙を流しながら寝所の男の子をだきとりました。「坊や、とても長く寝ていたなあ。やっとおじいさんに気がついたんだね!」

私の祖父とその友人はその話を聞いてとても喜びました。それ以来、祖父は他の人に良い行ないをしたり親切にすることにもっと気を配るようになりました。祖父はしばしば家族や他の人びとにこの本当にあった話をしま、私達に家族のおきてを残しました。 何が起きても私達は他人を責めてはいけない、どんなに忙しくても他人を助けなければならないということです。祖父は私が5歳の時に亡くなったので父がこの話をしてくれました。

私は結婚して3人子供がいます。或日、一番下の男の子が3歳の時、ひとりの商人が小麦粉とその他の食べ物を米と交換しに私達の村にやって来ました。

馬が突然制御がきかなくなり息子を荷馬車の前の車の下に引き込みました。

息子を救出すると、息子は足がひどく痛いを言いました。 夫と私は商人を全く責めませんでしたし、近所の誰かが言うように補償を求めたりもしませんでした。 しばらくすると、息子は歩けるようになりました。私は商人に「息子は大丈夫。これはあなたにとっても私達にとっても良いことです。」と言いました。 その商人は私達に心から感謝しました。

大法の修煉を始めてから、この二つのことは両方とも「善悪はその人のとっさの考えによる。」という天の原則を示しているということに気がつきました。

こうした事を皆さんにお話しするのは転法輪に書かれていることは一語、一文全てが真実だということをお伝えしたいからです。