真実を明確にする時私達自身の家族を忘れないように
中国国外の修煉者
【明慧ネット】最近私は何人かの修煉者の親類に弾圧の事実を話しました。中国国内にいる人もいれば国外にいる人もいます。修煉者達はとても熱心に修煉していますが、彼女達の家族はまだ李先生や大法や大法修煉者を言葉で攻撃します。私は修煉者達の親類と話している時は単に彼等の個人的な関心に結びついていることを話したり挨拶をしたりしましたが彼女達はとても心が動かされました。私は自分達はまだ充分に修煉できていないので家族を無視した結果大法に対して誤解を招いたのだと実感します。
私達は人間界での大法改正期間に自分の家族が救済されないのではないかと心配し大法はいいということを彼等に受けいれさせるのに懸命です。しかし、性急さは何も解決しません。私達は彼等に私達は本当に家族だと感じさせなくてはなりません。私達は修煉を通して寛容で心が広く他の人のことをもっと考えるようになりました。彼女達が私達を受け入れれば、自然に私達の選択も受け入れます。大法を非修煉者の社会のレベルに調和させることは大法改正期間の大法弟子の責任です。
3年間の迫害の間、中国の法輪大法の弟子の家族はとてつもないものに耐えてきました。彼等は邪悪からの直接の迫害と同様に彼等の家族の苦難に直面しなければなりませんでした。彼女等は大法修煉者ではないので理解できない苦難を受け入れなければなりませんでした。彼等の物質的な損失は大変なものです。海外にいる大法修煉者の家族も沢山のものを与えました。
大法改正に参加することはしばしば沢山の時間と費用がかかります。 勿論、このことは全て修煉者にとっては理屈に合うことです。しかし、修煉しない者として、彼女らは孤独を受け入れただけではなくて多額の費用を払いました。それに、他人からの誤解にも直面しなければなりませんでした。 私達修煉者は名声や利益や感傷を少しずつあきらめるのですから、もしこれに良く対処できなければ非常に簡単に誤解を招きます。親類は私達は彼等の感情を無視していると思うかもしれませんがそれは彼等の大法に対する意見を損なうことになります。 彼女らは修煉者ではないので迫害期間に彼女らが堪えてきたものは私達と比べてもっと大変だということを理解しなければなりません。
真実を明らかにすることは大法を教えることではありません。法輪功において私達が到達する高いレベルはもっともっと私達の考えの広さ、性格、オープンな考え方などのようなことを通して表されるべきです。
感情に執着しないことは私達の家族に対して冷たかったり無感覚だったりするということではありません。 挨拶や電話はどちらも私達の家族への心配りを表しています。もし私達が彼女達を本当に理解すれば大小の違いはあっても私達の冷たさではなく思いやりの暖かさが感じられるでしょう。
もし生物を救済する過程において自分達の家族にさえ思いやりがなかったらどうして他の人々を思いやることができるでしょうか?
私達の親類は法輪大法と最も強い縁のある人々にちがいありませんから彼等を先に救済しなければなりません。
もし私達の家族が全員大法のために声をあげれば世界の人々に対して迫害の真実を明確にすることはもっと効果があるでしょう。 修煉の間、時には私達は非修煉者と共通の考えがますます少なくなって、何もいうことがなくなることさえあります。こうしたことは修煉期間の単なるひとつの過渡期に違いありません。数年前一度娘に電話をした時何も話すことがなかったことを覚えています。私はすぐにこれではいけないと気がつきました。というのは娘は私が法輪大法の修煉者であり私のそうした態度は娘が大法を誤解するもとになるからです。そう思うと私の気持が変わりました。
今日まで修煉してきて、人間と聖なるものの違いは単にひとつの考えだということをますますはっきりと感じるようになりました。大法に対して責任のある見地にたっている限り、私達の神聖な面がそのはたらきをするので大法改正におりてよりよく振る舞うことができりでしょう。
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