ある若い田舎の娘の迫害を受けた事実
文/大陸大法弟子
【明慧ネット】私は田舎の娘である。98年に大法の縁を得て、法を学んでから、ずっと解けない人生の疑問が分かり、世に生きている生命の本当の意味も分かった。
99年、江××集団が法輪功を迫害して以来、私の生活は邪魔を大きく受け始めた。村の責任者はよく人を遣って家に来て私を監視していた。特に彼らの言う敏感の日に一日家に2、3回やってくる時もあった。また彼たちは人を雇って、村のすべての学習者を監視して、学習者の北京へ請願に行くことを恐れていた。
家族が邪魔されないために、私は家を離れて町に出て出稼ぎに出かけた。暫く経ってから、村の責任者と警察出張所の人は家に来て、私の行き先を尋ねた。家族は私が邪魔されることを心配して、私の行き先を彼らに教えなかった。2002年の正月に、私は正月を過すために家に帰った。村の党書記は、警察の出張所に電話をした。私服警察が来て、私を無理やりに車に乗せて連行した。警察出張所に着いたら、私に手錠を掛けて尋問し始めた。法輪功をまた練習しているかと聞かれて、「真、善、忍」に従っていると答えた。すると、彼らは尋問記録に練習していると記した。この記録で私を監禁する口実になるのではないかと思って、私はその尋問記録を破った。彼らは怒り出して、警察所の白玉橋は棒を持ってきて私の足を叩いた。範業満は私の頭を殴った。その後、白玉橋は手錠を引き摺って、私を階段の上に連れて行こうとした。手首が手錠に破れて出血した。今度、髪を引き摺ってやっと階段の上に上らせた。彼らは私に跪くように命令した。私は「親にも跪いたこともない」と言って断った。
彼らは、私を床に打ち倒して、私の頭を踏んだり、ゴム管で私の足の裏を叩いたりしていた。私はこう言った、「今正月ですから、怒らないでください。怒ることが体に悪いですよ」と。範業満は打ち疲れて、殴ることを止めた。だが白玉橋は邪悪的に言った、「わしは怒りはしないよ、笑ってお前を殴るぜ」。私はこれを聞いたら、とても悲しい気持ちになった。当時、私はさほど痛みを感じなかったし、怖くもなかった。師父が私の代わりに受け取られたのだと思った。悪人らは、私が怖くないと見たら、偽善の様子に変り私に言った。こっちに来て座りなさい、今度はお前の言う通りに書くから。そして私の言ったことを記録して終わったら、私は「これからどうするつもりですか」と尋ねた。彼らは「まず村に行って、記録した情報を確認し、その後、お前を帰す」と言った。そして、私を車に乗せて行った。だが、行くところは家ではなく留置所であった。
途中、彼らは「金を持っているなら、我々に預けて、お前の家族に渡すから。そうしなければ、留置所に入ったら、全部没収されるぞ」と言った。私は断った。彼たちに金を渡したら、山分けされるに違いない。その邪悪な行為に助長すべきではないと思った。公安局に着いたら、臨時に15日の拘留手続きを済ませた。書類にサインを要求されたが、私はそれに応じなかった。彼らは「サインしてもしなくても拘留は変わらないぜ」と言った。
留置所に入ってから、私は絶食し始めた。絶食の6日目に、私は頭を洗い、衣服を洗濯した。一人の女性は不思議に言った。「もし聞いた話なら、私も信じないが、六日間飲まず食わずにして、また洗濯出来るとは、本当に不思議ですね。」絶食の9日目に、彼らは私に強制的に食事を入れた。管を挿し込む時、鼻を破れて出血した。13日目に、私は呼び出されて、水を少し飲んだら、「お前の状況を上に報告する」と告げられた。それで、監房に帰ってから食事を食べ始めた。10数日が経ってから、他の監房に監禁される数名の大法弟子が絶食し始めた。私も第2回目の絶食を始めた。これをもって警察の人性を呼び戻したいと思ったからである。絶食して10日目ごろ、留置所の医師が私の血圧を測定し、心臓を聴診してから、強制給食が不適切だと判断した。見た目に私の精神状況がとても良いので、そのまま監房に帰らせた。その時、何人の絶食している学習者は異常の反応が現れたため、警察は死なせる責任を避けるために、一時この数人の学習者を帰宅させた。しかし、24時間監視を付けて、5、6日後に、体力が少し回復したら、また連れ帰られて、そのまま万家労働教養所へ送った。その中に心臓の異常現象が出た学習者があり、万家労働教養所は受け取らず、また留置所に返された。その時、私はまだ絶食を続けていた。同じ監房の中に一人の女性(修煉者ではない)は留置所の医師に「普通の人なら何日耐えますか。」と聞いた。医者は「普通の人なら7日間が限度」と答えた。この女性はまた「この若い娘さんは十四五日食べず飲まずにしているのに、また洗濯ができる。何の異常の反応もない。これはどうしてですか。」と聞いた。医者は言葉が出なかった。留置所の所長は監房に来て、「食べなくても、お前を釈放しない」と言った。私は当時覚悟して釈放しなくても、最後まで続くと決心した。
絶食して十七八日目の時、強制に濃い塩水をたくさん飲ませられた。監房に帰ったら、頭が激痛し出した。同室の学習者は「大法弟子はこんな状態があるべきではない」と私に教えた。私の観念が変わると共に、頭痛も徐々に消えた。それから、私は食事を食べ始めた。一ヵ月後、ある男性の学習者が強制給食によって亡くなった。それで、留置所の学習者全員は一緒に絶食し、抗議した。数日後、私の家族と警察出張所の所長が来て、私を連れて帰った。家に帰った後始めて知ったことだが、家族から金を掛けて私を取り戻したのだ。私が連行された後、家族はすぐ救出に取り掛かった。現地の警察出張所から「8000元を払えば、翌日にも釈放してやる」と言う。だが、家の経済状況があまり良くないので、家族は借金してようやく8000元を集めて彼たちに渡した。しかし、人は帰ってこない。家族は極大な精神の苦痛を耐えている中に、私を一日も早く釈放されるように待っていた。3ヶ月が経った。家族は絶望しているところ、また警察出張所から話が来た、「更に3000元を払えば、釈放する。」と。家族は、半信半疑で僅かな希望を抱いて金を集めて持ってあげてから、やっと私は釈放された。
私のように、若い女の子が迫害を受けて極大な苦痛を耐えている家族は、中国では他にたくさんある。「真、善、忍」を自分に律して修煉している多くの学習者は、また様々な迫害を受けている。私は、世界中の善良の人々に正義の声で真理と正義を呼び戻しまして頂きたい、と呼びかける。
私の文章があまり上手ではないが、しかし、これらはすべて真実の記録である。
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